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言葉の中に言葉がある(言葉の中の言葉・01)

 今回の記事の「Ⅰ.  短いけど長いもの」は再掲です。実は再掲の再掲なのです。複製の複製であり、引用の引用とも言えます。

 現在書いている記事の原点になる内容なので、あらためて再掲します。もとは十年以上も前にブログに投稿した記事に加筆したものです。


Ⅰ. 短いけど長いもの


 たしか高校二年生になった春でした。

 新学期が始まって、新任の英語教師が教壇に立ちました。教師も生徒たちも、おたがいに相手を探りあう瞬間です。その教師は、黒板に自分の氏名を書き、簡単な自己紹介をした後、生徒たちの氏名と顔を照らし合わせながら、出欠をとり終えました。

「みなさん、辞書は持ってきていますか。ない人は、持っている人のそばに行ってください。どのページでもいいから、そうですね、三回ほどめくって開いてみましょう。ページの中身を読む必要はありません。ただ見るだけでいいです」

 教師はそう言いました。英語の授業とはいえ、唐突な感じがしました。教室内がうるさくなり始めました。席を離れてもいいと言われたわけですから、あちこち動き回る生徒もいます。

「じっくり、読む必要はありませんよ。目を細めて、少しページから目を離して見てください。きっと、そのほうが、よく分かりますから」と、さらに教師は言います。

「えーっ」

 生徒たちの不ぞろいな声が上がります。なんだか謎々めいてきました。電子辞書など、空想もできなかったころのことです。生徒たちは、ひとりで、あるいは数人が固まって、高校生向けの分厚い辞書を開き、遠視か老眼の人のように、左右見開きのページから目を離し、近視の人のように目を細めています。

 三分ほどして、教師は言いました。

「何か、気づいたことはありませんか? 読んだ感想じゃないですよ。見た目の印象です。気づいたことを聞かせてください」

 初めて相手にする英語教師に対し、誰も発言しようとはしません。ただ、ざわざわするだけ。そのうち、教室内が白けた感じになってきました。

 いったいなんだろう、みたいな謎々めいた疑問の効果も薄れ、室内のざわめきが収まりかけたころ、教師は次のように言い足しました。

「短い単語ほど、たくさん意味が書いてありませんか?」

「なーんだ」とか、「うーん」とか、「おーっ」とか、「はあ?」とか、「……」とか、生徒たちの反応はさまざまでした。

「英語でいちばん短い単語は何でしょう? そう、a です。a を引いてみましょう」

 よくは覚えていませんが、たしかそのときに持っていた中型の学習辞典には、番号が振られていて、いくつかの a があり、冠詞の a の項には一ページをはみ出るほどの意味や例文が載っていました。

 短いけど長い。単語は短いけど解説は長い――。

 びっくりしました。それまで何度も英和辞典を引いていながら、そんな見て明らかなことに、全然気づかなかったことに気づいたのです。分かるようで分からなくなりました。不思議でした。

     *

 その不思議さに気づかせてくれた英語教師と出会って、数年後、自分が大学生になり、言語について考えるようになったとき、その教師が生徒たちを相手に行った「いたずら」というか「謎々」と、その「種明かし」をよく思い出しました。

 そのころには、英語にはゲルマン系(土着の言葉系)とラテン語系(外来語系)という二重構造があるらしいという知識も頭に入っていました。日本語にも、そうした二重構造があるようだという話も知りました。

 日本語では、大和言葉系の日常語と、インテリや支配階級の用いた漢語系の二重構造があるそうです。

 たとえば、「彼女、『おめでた』だって」(今では古い表現でしょうね)は大和言葉系、「彼女、『妊娠』したんだって」は漢語系ですね。すごく単純化すると、訓読みと音読みのニュアンスの違いと言ってもいいかもしれません。「書く」と「記述する」の違いみたいに。

 肝心なことを間接的で遠回しに言うのも、大和言葉の特徴です。

 おめでた < できた < 赤ちゃんができた < 妊娠した

 さきほども簡単に触れましたが、英語にも、ゲルマン系とかいう土着系の言葉つまり日常語と、侵入者兼征服者兼支配階級だった人たちの言語の二重構造が残っている。こんな話を、大学の語学の授業などでよく聞かされました。

 土着の言葉のほうが、日常生活に密着していてよく使うから意味の層が厚い、つまり多義的だから語義や解説が多くなり、辞書での記述が長くなる――。

 これが理屈です。

 何となく分かるような気がします。何となく分かりますが、それでも不思議さは去りません。自分のなかでは曖昧なままなのです。その曖昧さに酔っている自分がいます。我ながら困ったものです。

     *

 短いけれど長い――。

 不思議です。分かるようで分からない。

 英和辞典をぺらぺらめくってみてください。電子辞書ではなく紙の辞書ですよ。短い単語ほど説明が長いのです(その理屈は上で述べたとおりです)。「短いけれど長い」が体感できます。

 英和辞典ほどの迫力はありませんが、国語辞典でもだいたいそうです。

 めくりながら、読むのではなく目を細めて見るのがコツです。読まないほうが見えます。

     *

「短い」と「長い」が同時に起こっている――。
「短い」と「長い」があっけらかんとそこに同居している――。

 目を細めたほうが見えるものがあるみたいで、不思議です。

 目を閉じたほうが見えるものがあっても、不思議ではなさそうです。ものを見ているのは目ではないのかもしれません。

Ⅱ. 言葉の中には言葉がある


 短いけど長いものがある――。

 上の「短いけど長いもの」という文章で書いたことをまとめると、こうなります。

 その文章でお話ししたことを、別の見方からお話ししたいと思います。

 言葉の中には言葉がある――。

 今の私なら、そういう説明をすると思います。

     *

 word(言葉・語)の中に word(言葉・語)があり、language(言葉・言語)の中にも language(言葉・言語)がある――。これを図式的にまとめてみましょう。

・日本語:
 島国。
 もともともこの島々にあったという大和言葉系の言葉と、大陸から伝わってきた漢語系の言葉の二重構造がある。

・英語:
 島国。
 もともとその島の一部にあったというゲルマン系の言葉と、大陸から伝わってきたラテン系の言葉の二重構造がある。

 まことに大雑把で強引なまとめをして申し訳ありません。日本語と英語の似ている部分を強調するとそんなふうにまとめることもできそうです。

     *

「二重構造」という言い方をしましたが、それを言い換えると、

・日本語も英語も、word(言葉・語)の中に word(言葉・語)があり、language(言葉・言語)の中にも language(言葉・言語)がある――。

となります。

 土着の言葉のほうが、日常生活に密着していてよく使うから意味の層が厚い、つまり多義的だから語義や解説が多くなり、辞書での記述が長くなる――。

「短い」と「長い」が同時に起こっている――。
「短い」と「長い」があっけらかんとそこに同居している――。 

 そうしたことが辞書で起こっていて、それが目を細めるとよく見えるというのは、言語の中に言語があり、言葉の中に言葉があるからにほかなりません。

 日常生活でよくつかわれる言葉ほど、からまっているし、もつれているから、辞書の語義がごちゃごちゃして長くなっている、とも言えます。

 つまり、一つの見出し語に複数の語義がある、ということです。しかも、ある見出し語の語義とまったく同じ語義が別の見出し語の語義としてある、ことも珍しくありません。

Ⅲ. 縺、拗、捩、捻、拈、撚、縒


「言葉の中に言葉がある」、つまり言葉に二つの系統があれば、もつれますよね。漢字と漢語系、そして大和言葉系のことです。

 もつれる・縺れる
 こじれる・拗れる
 すねる・拗ねる
 よじれる・捩れる
 ねじれる・捩れる・捻れる
 ひねる・捻る・拈る・撚る
 よれる・撚れる・縒れる

 ややこしいですね。整理しましょう。

     *

 もともとこの島々にあったらしい、「もつれる、こじれる、すねる、よじれる、ねじれる、ひねる、よれる」という音に、大陸から来たという、「縺、拗、捩、捻、拈、撚、縒」という文字を当てたもようです。

 というか、話は逆で、大陸から来たという、「縺、拗、捩、捻、拈、撚、縒」という文字に、もともとこの島々にあったらしい、「もつれる、こじれる、すねる、よじれる、ねじれる、ひねる、よれる」という音を当てたのかもしれません。

     *

 こんなことをしていれば、もつれそうだし、こじれて・れて、当然でしょう。

 やだ、もー、すねちゃう・ねちゃう、から。

     *

 日本語の、もつれっぷりこじれっぷりを体感していただけたでしょうか? こうした言葉のありようは、理屈によって頭で理解するのではなく、実際に言葉を見て聞いて体感するのがいちばんだと思います。

 厳めしい漢語や空疎なカタカナ語をつかった専門用語や学術語で説明する必要はありません。余計に、こじれてもつれるだけです。頭の中が。

 言葉はもつれているどころか、もつれっぱなしなのです。どんな言葉も(word も language も)です。だから、人は困るどころか、困りっぱなしになります。

 もつれにもつれた英語で書かれた作品を、もつれにもつれた日本語へと翻訳するのを得意とした、柳瀬尚紀先生による著作のタイトルを思いだします。

 柳瀬尚紀先生は名翻訳家であられただけでなく、掛詞の名人でもありました。なお、「駄洒落」は掛詞の「別称」であり「蔑称」でもあります。

 このところ私は「言葉遊び」の代わりに「言葉のあやとり(言葉の綾取り)」という言葉をつかっております。言葉というものは「もつれている」と感じるからです。

*まとめ


・言葉の中には言葉がある

 日本語では、漢字と漢語系、そして大和言葉というか和語系の二つの系統のことです。

 だから、

・こじれるとすねる

または

・すねるとこじれる

 つまり、

・拗れると拗ねる

あるいは

・拗ねると拗れる

 と言える書けるのです。

     *

「言葉の中の言葉」という、この新しい連載では、以上述べた言葉のありよう――毎日誰もが生活しながら体験していること――についてお話ししていくつもりです。

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