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苦渋の選択

恐ろしいか怖ろしくないかと言えば怖ろしい。
そういうことはどこにでもいくらでもある。珍しいことではない。

(恐ろしいものが嫌な人や、食事中の人や、睡眠中の人は読まないでください。)

さて、日本では、と言ってもいいと思うのだが、こういう袋に入ったパン類というものは普通袋を開けてから食う。

「当たり前じゃないか。」

まあそうである。当たり前だ。袋を開け、ちょっと、つまりかじる分だけパンを表に出し、おもむろにパクリといく。

「当たり前じゃないか。」

だろう? そう思うだろう。
日本では、それは当たり前である。

日本の伝統文化であるところの刑事の張り込み捜査の流れを思い出してほしい。車の中で張り込んでいる刑事に仲間の刑事がコンビニであんパンと牛乳を買ってきて渡すあの場面である。

---想像タイム---

ほらね、そうであろう。袋から出すのはかじる部分だけだ。

習慣的に、袋を開けてパンを全部出してから食べる、という人物を見たことはない。それでも開けた袋からパンを全部出さないとも断言はできない。

習慣的に、と言ったのは、何かの都合でパンを全部出さねばならない状況がなくはないからだ。

例えば誰かと半分こする。
例えば中身のパンをデッサンする。
例えばパン食い競争の準備をする。
例えばパンを沢山使ってオブジェを造る。
例えばパンを頭にのせてシェーのポーズをする。
我々は様々な状況の可能性を完全否定することはできない。

兎にも角にも俺は日本人である。
永住権をいただいてオーストラリアに住んではいるものの、国籍は日本。正真正銘、右から見ても左から見ても日本人だ。上から見ても斜めから見ても下から見ても…下から見るのは(/ω\)イヤン。馬鹿野郎。

昨夜、晩飯は何にしようかと外にでて、韓国人経営の雑貨屋兼食料品店に行く。コロッケパンでいいや、とふと思ったからだ。

店内をぐるっと物色し、コロッケパンとミートボールと、そして写真のこのクリーム小豆パン?を買う。

賞味期限が2020年の3月というのが実に怪しかったが、ハングルは読めても意味が分からないし、同じようなコンセプトのものはコロッケパンを出している会社のを食べたことがあったから、まあそういう類のお菓子系のやつなんだろうと思ったのである。値段は$1.99。

教室に戻ってまずはコロッケパンをやっつける。といってもパソコンで作業をやる傍らである。展覧会の準備に奮闘中なのだ。そして休む暇もなくクリーム小豆パンに取り掛かる。

刑事ではないし張り込みもしてないし車も持ってないし仲間もいないが日本人である俺は袋を開け、少しだけ出してパンをかじる。

賞味期限を長く作っているからなのか、硬くてボソボソしてまずい。コロッケパンの会社のこのコンセプトのものは倍くらい値段はするがフレッシュで美味い。思ってたのと違ってがっかりし、もう買わないなあ、なんて思いながら食べ進める。

半分以上を食べてしまう。つまり半月状になったところでそのまた半分に取り掛かるべく、袋の中で90度パンを回して再び食らいつく。

するとそのとき体中に衝撃が走る。
視覚が違和感を捉えたのだ。袋から覗くパンの表面に緑色系の別の生物体が繁殖しているではないか。
(/ω\)イヤンなどとのんきなことを言っている場合ではない。

反射的に噛んだパンを口から外す。そしてそのまま口をあーんした状態で急いでリステリンを持ってキッチンに。

トイレにも行ったが吐けはしなかったので戻ってチューブからジンジャーを山盛りだして飲み込む。

食っちゃったかなあ、食っちゃったかもなあ、食っちゃったよなあ。ああ、食中毒はつらいんだよなあ。生姜さん、生姜さん、お願いですからどうか殺菌して滅菌してください。祈りがこもる。

…という状況を経ての本日である。
恐ろしいか怖ろしくないかと言えば怖ろしいだろう。
日本でなければ、こういうことはどこにでもいくらでもあるのだ。決して珍しいことではない。

生姜のおかげで一命はとりとめたようで体調は絶好調とは言わないまでも動けぬほどでもなく、つまりはまあ大丈夫なんだが、二度と同じ思いをしたくはない。いつも生姜様が側にいてくれるわけではないのだ。

この諸々の経験によって、俺はこれから日本の伝統文化の一つを苦渋の思いで捨てることにした。パンは袋を破って中身を全部出してから、ぐるりと一通り点検してからかぶりつくようにすることにする。

(そしたら中にせせらぎが入ってた…なんつうのは本当にマジでやめて欲しい。)

※せせらぎが何か分からない人は自分で調べてください。

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Ren Yano
英語圏で書道を紹介しています。収入を得るというのは本当に難しいことですね。よかったら是非サポートをお願い致します。