【生きる意味】正解を探さないで
生きる意味。
基本的に大体の人が人生のどこかしらでぶち当たる(と思っている)壁。
意味とか、宿命とか、やるべきこととか。
あるのは何となく分かっているけど、
これだ!って分かり切っている人がどのくらいいるのか。
とかくいう私自身も、
分かっているのかいないのかふわついていたりもします😅
だからこそ色々体験していって、
それを経験にして、
それぞれ意味を付けていくのかなぁと思うのですが。
ただ、そこで大事だなと思うのが、
【正解を求めないこと】
何が正解とか間違いとか、ぶっちゃけ分かりません。
上手くいったから正解、
結果が出たから正解、
成功したから正解、
とも言い切れないことはあって。
逆に、
肉じゃががビーフシチューの失敗作から生まれたように、
失敗が全て間違いというわけでもなくて。
(この例えが適切かはわかりませんが😅)
どう生きるのが正解かどうかなんて、
自分が今やっていることが、思っていることが、発言したことが正解かどうかなんて、
本当にどっちでもいいよってことを
1年前の自分にいってあげたいです。
人生や物事は何層もの事象が
重なり合って出来ているからこそ、
何が起こったとしてもそれは当たり前なわけで。
やってみて、たどり着いてみて、
「あ、自分はこの事象からやってきたんだな」
って思えればいいのかなって。
それが良いとか悪いとか、
人と同じだとか違うとかじゃなくて。
いつか、
自分が後ろを振り返った時に出来ている道を作ること。
自分の道。人生の財産。
それが生きる意味だったりするのかなって
ざっくりと思ったりもしています。
「明日を生きよう」
と思わなくても生きていられるのが当たり前なのかもしれないけど、
「明日を描こう」
と思わないと何も変わらない日常を過ごしてしまう。
そうやって、
断片的で、抽象的で、でも複雑で不確かだからこそ、
人生迷うこともあるわけで。
でもそういうもんだよねって思うと、
蛇行な人生も少しは愛おしく感じるこの頃です。
今回は自分でも何を伝えたいのか、何を言っているのかよく分かっていませんが、、
今起きていることが正解かどうかで考えるよりも、
いつか振り返った時に、
これが自分の道だって証明するためのことって思いたいなと。
そんなことをふと思った今日の昼下がりでした。