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#建築家
建築家がそれぞれの持ち場で役割を果たすということ
日々、様々な素晴らしい建築作品をご紹介させていただく機会に恵まれ、本当にありがたいなと思っておりますし、そのどれもが個性的な仕事をしていると思っているのですが、今週更新した2つの作品が、その公開の順番も相まって、自分自身にも色々と考えさせてくれることがありましたので、それについて書きつづってみたいと思いました。
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稼ぐのが先か、周知活動が先か
「稼ぐのが先か、周知活動が先か」
久々の投稿になりましたが、最近考えていたことをこのクローズドな場に書き綴ってみたいと思います。いつものように結論の無い話になりそうなのでご容赦ください。
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今日書こうと思ったのは、仕事として稼ぐことを先にした方が良いのか、稼ぐための周知活動を先にした方が良いのかという問題です。
なぜそんなことを考えていたのかというと、巨匠と呼ばれる建築家たちの振舞を
建築への志と、稼ぐ事のバランス感
久々になってしまいましたが、最近色々と見る中で思っていたことを書き綴ってみます。いつもの乱文申し訳ありません。
今日書いてみたいのは、タイトルにも書いたように、建築を作るという意思と、稼ぐ事への意思のバランス感について書いてみたいと思います。
勿論ですが、それぞれのスタンスを批判すると意図はなくて、現状認識と、自身の立ち位置を明確にして、そこから我々の目指すところは、こういう所なんだという事を
自分の作品を伝える文脈をデザインする
先日、録画しておいた新日曜美術館の安藤忠雄特集を見ていました。2000年前後に建築を学んだ自分にとっては、安藤氏は特別な人で、ディテール集を買って何度も読んで憧れた人物です。その作品も興味深いのは勿論ですが、動画を見て気づいたのは、「元プロボクサー」「シベリア鉄道で建築旅に出る」という20年前に既に著名だったエピソードが今も繰り返し語られている事。つまりこれは、安藤の作品、つくり手である安藤の文脈
もっとみる同じようで、常に変わり続けているという事
ふと思いついたことをまとめようと思いPCに向かっています。いつもの乱文申し訳ございません。
我々の建築メディア「アーキテクチャーフォト」ですが、この名前に変わった、2007年から今年で16年目になります(その前身のサイトが始まった2003年からだと、もう20年!になります)。
日々多くの方にサイトに訪問して頂いていて、恐らく意識もされていないと思うのですが、過去を振り返ってみると、当時行ってい
設計の関わり方の深さをコントロールする
建築家の山本嘉寛さんが、instaに投稿してた、建築設計を3つのコースに分割して受注しようとする試みを知って興味深く思ったので、こちらでもご紹介したくPCに向かいました。
また、こちら簡単にtwitterやinstaにも書いたところ、個別にメッセージをくれる建築家の方が何人かいらして、その仕組みへの注目度の高さを感じました。
https://www.instagram.com/p/Co4yxn
やらなくてよいこと探し
皆さん、いつもこちらのコラムを読んでいただきありがとうございます。ふと思いついたアイデアを、ぼんやりしたままに文字化して、自身の考えを整理しつつ、それを、これまでに繋がった方々に見て頂いて1mmでも、ヒントになる事があればよいなと思って何とか継続しています。
今日もそんな感じで、少し書き綴ってみたいと思います。
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今回のお話も、私が主戦場としているネット上のお話なのですが、ほんの10年く
サービスとしてのレファレンス(参照)
(※ChatGTPを使って、本文を350文字に要約してみました)
20年前、スイスの現代建築が日本で注目され、建築における「参照」の概念を知りました。ペーター・メルクリの建築は過去の建築物を参照し、自身の作品を建築の歴史に位置づけていました。現代建築は過去の建築を解釈し、提示することで歴史とつながります。
最近は、地域の文化や特性を参照することが増えています。例えば、MVRDVの上海のブルガリ