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【本の展覧会】 内藤コレクション 写本 — いとも優雅なる中世の小宇宙

上野の国立西洋美術館といえばクロード・モネの「睡蓮」やオーギュスト・ロダンの「考える人」がハイライトだが、本好きなら見逃せないのものがある。「写本」のコレクションだ。いつだったか常設展の一角で額縁に収められた写本の零葉たち(本から切り離された紙葉)を見て、釘づけになった。本という全体から引き剥がされ、にもかかわらずその面影を残す紙葉たちは、ゴシックの様式を伝える美術品の一つとして堂々と光を浴びていた。

今夏、その写本ばかりを集めた企画展「内藤コレクション 写本 — いとも優雅なる中世の小宇宙」が開催された。


写本とは、文字や絵などを手書き(手描き)した本のことだ。15世紀にヨハネス・グーテンベルクによって活版印刷術が発明される前は、本は一冊ずつ手で書かれていた。それしか手段がなかったのだ。

手書きといっても「自分の字」で書くわけじゃない。写本の文字には「様式」がある。中世のヨーロッパにおいて筆写された本の大半は聖書をはじめとする宗教書であり、それを所有できたのは王侯貴族や教会などに限られていたという背景を考えれば、本が富や権威の象徴であったことは明らかで、それゆえに一級の様式美を備えていなければならなかったのだろう。


写字を担っていたのは「写字生」と呼ばれる人々だ。その多くは修道院の僧で、院内の「写字室」で来る日も来る日も書いたという。手づから削った羽根ペンにインクをつけて、平滑とはいえない獣皮紙にカリカリとペンを走らせる(羽根ペンと獣皮紙だと、ゴリゴリかもしれない)。明かりはもちろん自然光のみ。これって、かなり過酷だと思う。

フランス国立図書館の司書長を務めたブリュノ・ブラセルが記した『本の歴史』によれば、ある写本の巻末には「(写字の仕事は)視力を弱め、背中をたわめ、腹部を疲れさせる」という書き込みがあるのだとか。こんなぼやきをこっそり残したくなるほど、写字はしんどい仕事だった。

そのうえ、写字の仕事はアノニマスだ。超優秀な写字生は貴族に抱えられたりしたらしいが、そのようなスーパー写字生を除けば、たとえ数百年後に美術館に展示されるほどのできばえであっても、そこに書き手の名はない(たまに工房の名や写字生の名が記されていることもあるようだが)。


そんな写字の時代は、グーテンベルクの発明によって終焉へと向かう。そのグーテンベルクが最初につくった金属活字は、かの『四十二行聖書』にも使われている書体「テクストゥール」だという。縦長で、角張っていて、みっちり並ぶと威風を放つ。この書体は活版印刷のために独自に開発されたものではなく、当時、ドイツの写字生が書いていた文字をモデルにしている。

そうなのだ。機械による技術というのは、量とスピードにおいては人の手を凌駕するが、質においては人の手を羨望するのだ。機械は人よりも丈夫で辛抱強いかもしれない。でも、人は機械よりも熱心で執拗だ。

精巧に書かれた写本を見て「これが人間業なのか!?」と思わず口にしてしまいそうになるけれど、それを支えているのはほかでもない人間の献身であり、執着であり、意地であり、真心であり……だとすれば、あの精巧さこそが人間味である、とはいえないだろうか。


製本にも似たような側面がある。手製本をしたことのない人から「製本家って、きっちりしてるんでしょうね」とか、「ミリ単位で正確につくるなんて、わたしには無理だな」などといわれることがある。そのたびに、ちょっと違うんだよな……と思いつつ、うまく説明できずにいる。

製本、とりわけルリユール(工芸製本)においては、正確につくることは第一義じゃない。むしろ、何事も「数値で把握しない」のが基本だ。定規で測るのではなく、目や指先で見当をつける。革や紙の伸び縮みを、水の加減と手の加減で調整する。手工芸としての精巧さを成り立たせるために、人間らしい柔軟さや曖昧さが発揮されるのだ。別の表現をするならば、精巧さとはすべてを正確につくることではなく、部分部分に生じる矛盾を鷹揚に飲み込みながら全体に調和を生むこと、といえるかもしれない。


ちなみに、さきほどの『本の歴史』によると、写字の時代の製本はなかなかワイルドだったようだ。獣皮紙の折丁を革ひもに縫いつけ、そこに表紙として木板をつけ、革を貼る。さらに宝石や象牙を飾ることもあったとか。獣皮紙の本文が膨らむ懸念があったためか、前小口には留金がつけられた。相当な力技だろうし、結構ごつい仕上がりだったんじゃないだろうか。

本が繊細さとしなやかさを身につけていくには、あと数百年の時間を要するわけだが、やがてルリユールとして開花する手工芸の精神の源泉を写字文化に見たような気がした。


● 「内藤コレクション 写本 — いとも優雅なる中世の小宇宙」
国立西洋美術館
2024年6月11日〜8月25日
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2024manuscript.html

● 『本の歴史』ブリュノ・ブラセル/荒俣宏 監修(創元社)


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