意地悪のスルースキルを得てみた
哲学カフェに出会い、子育て哲学をやってきて最近メキメキと生活の役にたつ事が増えてきました。
まず、なぜ?と考えることが習慣化するから怒りが減る。
「あっちが悪い!」「自分を傷つけられた!」という思考から、
あちらの価値観はまずどうなっているのか考えようという思考にシフトし、
たぶん、「悩むより行動(思考)」そういう風に脳がなってきたのではないかな、と思っているところです。
「考えるという脳の行動」ね。
先日こんなことがありました。
「娘がイジワルされた話」
娘(4歳)と公園へ遊びに行くと、幼稚園の制服を来た5歳位の女の子が2人先に遊んでいました。仮にAちゃんBちゃんとします。
そこには2つのブランコがあり、Aちゃんが先にブランコに乗っていて、娘も隣に乗ろうとしました。
するとAちゃんが、「Bちゃん〜ブランコ空いてるよ〜」と遠くのBちゃんに声をかけました。
娘は、Bちゃんが乗る予定だったのかな?と一旦引いて様子を伺い、そのままBちゃんはブランコへ乗り、何事もなかったように2人で乗り始めました。。。
私は、Bちゃんが全然別の事をしていてブランコに乗る予定がなかったのを見ていたので、すぐに、「あ〜これは女子特有の風景だなぁ」と分かったのですが、まぁ初対面だし娘の出方も見ようと私は声はかけませんでした。
娘も「いや、今誰も居なかったじゃん」とか「私の方が先に来たし、そもそもBちゃん乗る予定ではなかったよね」とも何も言わず。
気まずい顔でその周りをウロウロ。。。
とりあえず順番待ちしていると、
Aちゃん「このうちらの制服ってさ〜、ほんとに可愛いよね〜、やっぱりこれ着てて良かった〜」とチラチラこちらを見ながら、これみよがしに仲間内アピールと娘の仲間外れ感を演出してきます。(確かに可愛い赤いチェックのスカートの園服)
Bちゃんは特に何も言わないのですが、Aちゃんがやけに突っかかってくる・・・
親の私がイラッと来ましたが、娘が怒ってないのに私が怒るのもな、と娘と別の場所へ移動しました。
今度はイカダの遊具(小さい池に紐で引っ張って動かす丸太のイカダの遊具)で娘が遊び始めました。
しばらくするとBちゃんが来たので娘は順番通りイカダを譲り、そのイカダが動いている周りを走り始めました。
割と誰にでも話しかけて初対面の人とも遊ぶ娘なので、Bちゃんとも関わりたかったようで、その周りをちょろちょろしてたようです。
すると、また少ししてAちゃんが来て、順番待ちしていた娘を追い越しイカダに乗り、「ね〜Bちゃんはこの子と友達なの??一緒に遊んでないよね。友達じゃないのに話しかけてくるなんて変だよね〜。行こ〜」とイカダに乗りどこかへ行ってしまいました。
いやいやいやいや、まず順番抜かし。
なんで話しかけちゃダメなの?
友達じゃないのに話しかけると変ってなに??
というか人の事堂々と変だよねってよく言えるね、と私がイライラ!
よっぽど物申そうかと思いましたが、いや、相手は子ども。。。そして私との関係ではなくこれは娘の問題だし。。。私が口を出していいものか・・・と理性が働き何も言いませんでしたが、怒りはMAX。
自分の子どもを貶されるとこんなに怒りが沸くんですね。
今まで私が見ている時にこんなにあからさまにイジワルをされたことがなかったので、初めての怒りでした。
でも、自分も保育関係者。こういうイジワルはたくさん見てきました。
5歳〜10歳頃はこんな言動もたくさんあるし、自分が子どもの頃も幾度かされたし、他の子がされてるのも見たことはある。そしてAちゃんが全て悪いわけではなく育つ背景にも理由はある。
しばらく悶々としていましたが、ここで、
【なぜAちゃんはああいった言動をとったのか】
を、フラットな気持ちで考えました。
考え①
もし、イジワル自体がしたい場合、もうすでにBちゃんに対してしている可能性がある。(知らない子だと反撃のリスクがあるので反撃しないと分かっている子の方が対象にはなりやすい)
考え②
娘が先にイジワルをしたのであれば反撃でこうなる場合もあるけど、Aちゃんとはまず会話もないし、特に目立った行動もしていない。
考え③
仲間内以外に突っかかっていき、自分の強さを見せつけたい場合もある。しかし、Aちゃんはわざわざ出向いて来たわけではなく、同じ【遊具を共有した場合】と【Bちゃんに絡んだ場合】と言う共通点があった。
考え④
もしかしたら、同じ遊具を共有したくなかった=自分の安心するテリトリー内に知らない人が入ってきて欲しくないと言う気持ちがあるのではないか?
そして、Bちゃんを取られたくなかった気持ちもあるのではないか?
仲間意識が強いのと、知らない人への不安が強いために、他をどうしても排除したかったことが今回の意地悪につながったのではないか?
と言う推測が浮かびました。
割と出来上がっている関係性に入っていくのは難しく、まだ上手に説明できないし感情もコントロールできない幼児が上手く断るのも難しい。
娘も今後、人の都合は考えて声をかけなきゃいけないし、だからと言って人とコミュニケーションを取ろうという姿勢は控えて欲しくない。
この辺は今後も見ていきつつフォローしていかないといけないなぁという私の課題にもなりました。
娘にはこの話もして、人には好きとか嫌い以外にも【仲良くなれる・仲良くなれないのタイミングがある】、どうしても2人のみで遊びたい時もあるし。今回された事は嫌だったけど傷つかなくていい。なんて声をかけたらいいか考えつつ、また誰かと一緒に遊びたい時は声をかけてみよう、と話しました。
この一連の流れ、【日常のなぜか?という問いをフラットな状態で考える】という事を意識してやってないと、たぶん、イラついた!だけで終わってたと思うんですよね。
相手が100%悪い!という怒りを沈め、【もしかしたら他に考えがあるかもしれない】と言う可能性を探る作業をあえてすることで、今までと違った視点が手に入る。
良い悪いで語ると、イジワルって悪いんですよね。悪いんですけど、悪いで完結すると、それは親の教育や環境が悪いって誰が悪いのかの犯人探しにしか目がいかなくなる。
はっきり言うと、変えられないものの方が多く、変えられない環境の中で少しでも変えられる箇所がないかを探す作業というか。
こういう考え方をすると見方が変わって行動を変えられるというか。
(犯罪に近い行為で本当に親子共々悪いと言うケースもあります。そういう類のものはもっと専門的な解決の仕方があると思います。)
その考え方にしてくれるのが、子育て哲学だったり哲学カフェに取り組んだ先に手に入るものだなぁと今回感じました。
時間と労力はかかりますが、平和に解決をしやすい方法です。
良かったら、こちらで子育て哲学しておりますので、見ていって下さい。
まだ本数は少ないですが、これから増やしていこうと思います