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2025年のテーマは「湯たんぽの心地よさ」
2025年の幕開けは、湯たんぽの心地よさを自分に許すことから始まった。
振り返れば、三が日が明けた1月4日の朝。
なんだか体の節々が痛い。
倦怠感もある。
生理痛のような感じもするし、そうでない感じもする。
なんだかおかしい、と思ってベッドに潜り込んだ。
そのうち、母親がベッドのそばまでやってきて、こう言った。
「お母さんも風邪をひいたみたい。」
母の言葉を聞いて初めて、ベッドで横になって体を休める許可を出せた私がいた。
それくらい、私は休むことを自分に許していなかった。
労働という名の実家帰省
年末年始に実家に帰省したら、ゆっくり休めるどころか、普段より余計に忙しくなった。
一人暮らしの自由気ままでマイペースな生活から、両親の生活リズムとペースに合わせるだけでも、心身ともに結構な負担であることがよくわかった。
1日3食きちんと食べる両親にリズムに合わせて料理を作るだけでも大変だった。
作り終わり、後片付けを終えたと思ったら、数時間後にはまた料理をしなければならない。
両親のために作る料理は、自分のためだけに、お腹が空いたタイミングで適当に作るのとはわけがちがった。
せっかくなら美味しく食べてもらいたい、と、一品一品、ネットでレシピを調べ、味見をしながら、ベストな味を追求して作った。
休職中、心配をかけながらも、金銭的にも精神的にもサポートをしてくれている高齢の両親に、少しでも恩返しがしたい、という思いもあった。
人のために料理をするのは楽しい面もあったが、毎日となるとしんどくなる。
家族のために毎日3食作ることの大変さを身にしみて感じたのだった。
体への負担は家事だけではなかった。
実家を離れて一人暮らしをしてから8年以上経つが、身の回りの全てが自分のニーズに合わせて配置された自宅との違いをまざまざと感じたのだ。
一番ストレスを感じたのが、お風呂を出た後の身支度だ。
お風呂から出てからベッドに入るまで、足の裏は汚したくない私は、自宅ではタオル地のスリッパを履いて水分を拭き取ったら、洗いざらしの靴下を履く。
ところが、実家は2階にお風呂があり、ベッドがある1階に移動するまでに、パジャマや下着を持ち運ぶのが面倒なだけでなく、新しい靴下を忘れたりと、不便が色々あった。
木造建の実家の朝晩の冷え込みは厳しく、自宅から持ってきた防寒着では不十分だった。
せっかくお風呂から出て温まった体もすぐに冷えてしまい、寒い思いもした。
こういう小さなストレスに無自覚だった上に、疲れを押して、リンパドレナージュのマッサージを父と母にそれぞれ60分ずつ行ったのも相応の負担になったのだと思う。
今振り返ると、倒れたのは、「いい加減、ゆっくり休ませてくれよ」という体の悲鳴だったのかもしれない、と思う。
湯たんぽで感じた最上の心地よさ
いつになく悪寒を感じた私は、父親に湯たんぽをお願いした。
風邪を引くたびに、父が湯たんぽを布団の中の足元に入れてくれたのを思い出したのだ。
私のリクエストに応じて、父はすぐに湯たんぽを入れてくれた。
足元にじんわりと柔らかい温もりを感じながら、脳みそまでふやけるような心地よさを味わった。
「このままずっと、この心地よさを感じていたい。」
一瞬、そんな思いがよぎったものの、すぐに打ち消す自分がいた。
せめて帰省中くらいは母の負担を減らそう、と決めていた私は、数分後には台所に立って食事の支度を始めたのだった。
母も同じように体調を崩していたが、食欲が皆無な私と違い、母の食欲は旺盛だった。
そして、食事を作り終え、皿洗いまで終えると、再びベッドに潜り込むことを繰り返す日が3日ほど続いただろうか。
薬を飲まずに治すと決めた私は、食べずに寝ていれば治る、と思っていたが、倦怠感、喉の痛み、頭痛といった症状がしつこく残っていた。
おかしい、と思いながらも、体調よりも家事を優先して寝起きする私の中でほのかな希望が芽生え始めていた。
「湯たんぽの温もりを心ゆくまで味わいたい。
ああ、自宅にいたら、丸一日、朝から晩まで、好きなだけ湯たんぽの温もりに包まれて寝れるのに・・・。」
母の笑い声で湧き上がった怒り
書道教室を主宰している母は、市販の風邪薬を飲みながら、年始の教室をスタートさせた。
辛い体を押して母の教室のペースに合わせて食事を作り、ベッドに戻った私は、トンカチで叩かれるような鋭い頭痛と戦っていた。
そんな中、2階の教室で母の大きな笑い声が耳に入ってきた。
私が頭痛で苦しんでいる中、教室で生徒と楽しそうに談笑している母がいる。
そう思った途端、突然、腹わたが煮えくり返るような怒りを覚えた。
人は私の中の印象であり、その人そのものではない
布団の中で怒りを統合した後、ふとした気づきが降りてきた。
私が勝手に、「風邪でフラフラで辛い思いをしているかわいそうな母」という印象を通して母を見ていたこと。
実際の母は、大声で笑いながら生徒を指導するくらい元気で、母のために食事を作っている私の方が辛くて大変な症状であること。
自分が持っている人への印象は、印象に過ぎず、その人そのものではないのだ。
自作自演のドラマの脚本を変える
同時に、私が自分の辛い体を押して母のための食事を作っていたことも、単なる自己満足に過ぎないことも見えてきた。
「本当は体の声に素直になって心ゆくまで休みたいのに、母親を助けるために辛い体に鞭を打って家事をこなし、風邪を長引かせて苦しんでいる私」という脚本を自分で作り、自分で演じている。
自己犠牲というテーマの自作自演のドラマが見えた時、私はこう決意した。
自己犠牲をはもうやめよう。
自分のことだけに集中しよう。
治すと決めるから治る
自分の体調回復に専念することに決めた私は、自分の体に全神経を集中させた。
すると、どうも普通の風邪じゃないことが見えてきた。
ウィルス性だ。
そう感じた私は、徹底的に「ウィルス性と言う感じ」を創造処理手順(CHP)で統合することにした。
創造処理手順(CHP)とは、アバター®︎で習う統合の手法の一つだ。
自分の体感だけに100%集中するために、頭まですっぽり布団を被る。
一つ一つ、丁寧に集中しながら統合するうちに、じんわりと滲み出る汗に手応えを感じる。
母の気配を感じた私は、「お母さん、下着とパジャマ、持ってきて」と頼んだ。
母は枕元に替えのパジャマと下着を持ってきてくれた。
安心した私はさらに集中して布団の中で統合に取り組んだ。
頭痛、喉の痛み、関節の痛み。
ひとつひとつ、丁寧に処理すると、痛みは本当に消えていった。
案の定、下着が汗で湿ってきたところで着替え、1時間ほど統合しただろうか。
ほとんどの痛みが消えたところで、私は眠りについた。
もう実家には戻らないと決める
それまでの私は、実家への淡い期待のようなものがあった。
「実家に帰れば、自宅にいるよりも美味しい思いができる。
一人暮らしから実家暮らしも悪くない。」
今回の帰省で、そんな思いが幻想であることが身にしみてわかった。
「もう実家には戻らない。」
その決意は、自分の生活を自分で立てていくことを意味した。
湯たんぽが心地よさのバロメーター
ほぼ体調が復活し、10日ぶりに帰ってきた自宅の風景は、かつてないほど眩しく感じられた。
何より、時間を気にせずに好きなだけ寝れて、湯たんぽの温かさを味わえることが嬉しくて仕方なかった。
湯たんぽの心地よさを思う存分、味わせることを自分に許せる自分がもっと嬉しかった。
実家に帰省した時の私は、湯たんぽの心地よさを自分に許さなかったほど厳しかったからだ。
湯たんぽの心地よさが、私の中の心地よさのバロメーターなのかもしれない。
湯たんぽの心地よさを大切にしよう。
ホクホクしながら、クローゼットにしまった湯たんぽを取り出し、ガスコンロでお湯を沸かした。