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愛が結ばれて、人生の夜明け。

――彼女の人生の夜はきっともう黎明を迎えていて、あとは明るくなるだけの未来が待っているはずです。


人生は物語。
どうも横山黎です。

作家として本を書いたり、木の家ゲストハウスのマネージャーをしたり、「Dream Dream Dream」という番組でラジオパーソナリティーとして活動したりしています。

今回は「愛が結ばれて、人生の夜明け。」というテーマで話していこうと思います。


🏨大切な後輩と久々に呑んで…

昨夜、久しぶりに元バイト先の後輩と呑んできました。僕は元々結婚式でバイトしていたんですが、そのときに知り合った人です。一昨年の3月が初めましてだったかな。

その後輩は僕のことを慕ってくれたし、僕も僕でそんな後輩を大切に思うようになったので、あの頃から関わりが多かったんですが、今もこうしてちゃんと関係が続いていることを思うと感慨深いものがあります。

昨日の飲みは、後輩から誘ってくれたことがきっかけでした。「今度ワイン飲みに行こーよ」と誘われたんです。どうやら最近ワインにはまっているらしくて、ワインの飲める店を開拓したかったそうなんです。ということで、僕のよく行くワインバーに連れていくことにしました。

3時間くらい飲み語り合って、お互いの現状を報告し合ったり、今だから言えることを打ち明け合ったり、価値観を共有したりしていました。

素直にずっと楽しかったんですが、僕がいちばん心動かされた瞬間は、後輩から「私の人生において横山さんの存在は大きい」という言葉をもらったときでした。


🏨荷物を下ろせる場所が僕なら

僕が後輩の何に惹かれたかって、彼女の「物語」でした。デリケートな話題だから割愛しますが、僕が出逢ってきたなかでトップクラスの重みのある荷物を抱えているのが彼女でした。不条理や不幸せとも言い換えられるその中身を、僕にこっそり見せてくれたことがありました。出逢ってから2、3カ月経った頃の話です。

そうだな、彼女自身も公言しているから、ひとつだけ言えることがあるとするならば、彼女は家庭環境の問題で大学進学ができずに2浪することになってしまったんです。結婚式でバイトを始めたのも、学費を溜めるためでした。

これだけでもそれなりに重めの話ではあるんですが、こういった荷物をいくつも背負っていたんですね。その中身を、僕によく見せてくれていました。それだけ信頼を置いてくれたことがまず喜ばしいことだったんですが、話を全部聴き終えたとき、いわゆる使命感のようなものが追いかけてくるように芽生えたんです。



これは彼女自身言っていたことではありますが、重い荷物の中身を誰にだって見せられるわけじゃないですか。たまたま僕が巡り合わせでその役を務めることになったわけで、あらゆる他人に聴かせられる話ではないんですよね。

荷物を下ろせる場所が僕ならば、荷物を下ろしてよかったと思える存在で在りたい。少しでも心が軽くなるような働きかけをしたい。どうにかしたいと切に思うようになったのです。

そう思うのは簡単なんですが、別に僕は人の人生を変えられる魔法を持ち合わせているわけではないので、とりあえず今の自分にできることをとことんやり続けていこうと思い至りました。すなわち、「寄り添う」ってことです。

話を聴く。

誘いを断らない。

真摯に向き合う。

誰でもできることではありますが、それを続けることで少しずつ心も環境も変わってくることを経験上知っているから、彼女に対してもそういう姿勢を見せ続けようと決めたんです。

インスタのストーリーでちょっと落ち込んでいる投稿を見つけたときはコメントせずとも「いいね」を押して見守ってはいることを示したり、大学入学したときは入学祝いで呑みに連れていったり。

ずっと近くにいることはできないからこそ、遠くで、たまに近くで寄り添う姿勢を見せ続けてきたんです。「私の人生において横山さんの存在は大きい」という言葉をもらった昨夜、僕は思いました。寄り添い続けてきてよかったなって。


大学進学祝いのときの写真


🏨愛が結ばれて、人生の夜明け

バイトで一緒だった頃から、後輩は「茨城大学に行って教員免許を取って先生になりたい」と口にしていました。最初は将来役に立ちそうだしちょっと得意だから英語を専攻する学科に行くつもりだったそうですが、結局選んだのは国語選修。僕と同じ学科です。昨日も言っていたけれど、そこにも僕の存在が影響しているらしいです。

現時点で選ぼうとしているゼミも近現代文学のゼミ。これは僕が所属していたゼミなので、面白いくらいにちゃんと直属の後輩になりました。僕はもう卒業しちゃっているから直接関わることは皆無に等しいけれど、僕が巣立った場所で頑張ろうとしていると思うと嬉しいものがあります。

また、2浪しているから年齢のギャップがあるにせよ友達はできたみたいだし、今やパートナーとも巡り合って、充実した日々を送っているそう。そのパートナーも聴く限り包容力と受容力のある人なので、彼女の幸も不幸も真摯に受け止めてくれていると信じられました。

以上のことを踏まえて、僕の役目はそろそろ終わりかなとも思いました。それは嬉しいことでもあります。荷物を下ろせる場所が増えたってことですから。後輩のしあわせを願う僕にとって、それはとても喜ばしいことなんです。



自分起点の願いを「恋」として、相手起点の願いを「愛」とするならば、僕は後輩を愛しているんです。つまり、後輩に対して「幸せであってほしい」と強く願っています。

例えば、相手にとって、僕がそばにいることが幸せなら僕はそばにいるし、距離を置くことが幸せなら僕は距離をおく。これが僕の信じる「愛する」という行為です。

彼女の人生の夜はきっともう黎明を迎えていて、あとは明るくなるだけの未来が待っているはずです。正直、誰かの人生が夜明けることに最大の関心がある僕ではありますが、彼女の人生がより希望に満ち溢れるものになるように、これからも「愛して」いくつもりです。



昨夜、寝る前に、以前に後輩のことを綴ったnoteの記事をいくつか探して、見つけ次第読み返していたんですが、あのときの迷いや不安のなかにいた僕に伝えてあげたいです。「今の君が寄り添っている相手は、将来ちゃんと大学に進学するぞ」「君のおかげで、彼女の人生はちょっぴり明るくなるぞ」「君の愛は結ばれるぞ」って。

こういう答え合わせができるnoteの記事は書いていて楽しいですね。こんな記事がたくさん書けるように、今を生きて、出逢った人を大切にして、必要あらば寄り添っていこうと思います。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

20240808 横山黎



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