【読書感想文的エッセイ】あの地平線輝くのは9
これまで、ぼくは『星の王子さま』のキャラクターの個性を自分なりのやり方で深堀りしてきた。やはり全体的に「距離」、それにともなう「孤独」や「隔絶」といった通奏低音がずっと響いているのように思える。しかしそのようなコード進行の上で、王子さまとそれぞれのキャラクターが個性豊かなメロディーラインを作り上げているのもまた事実であろう。曲調は短調なのに、歌詞がすこぶる明るい、そんな印象を受ける。このギャップがこの児童文学に子供がまだ理解できないような深淵さに表れている。
ここからは『星の王子さま』のパラレルワールドの話をしたいと思う。もちろん本編にそんな話はない。すべてぼくの想像である。しかしこの作品を読んだ2020年という年は、日本でもコロナウィルスが感染拡大を始めた時期であった。このエッセイの冒頭にも書いたが、やはり『星の王子さま』は、ぼくにとって明確に現実世界とリンクしていた。だから『誰かいる宇宙』という戯曲集が書きあがった。この作品はちゃんと感染拡大期の距離と孤独の不安を描いていた。そういう意味では『誰かいる宇宙』も『星の王子さま』のパラレルワールドなのであるが、現在から見た当時を、未来を知っている者として、現在に繋げるような形で振り返ってみたいと思う。これは当時から『誰かいる宇宙』に秘められていた可能性を見て取るものだ。
爆発的感染力。強烈に刻まれる後遺症。このゾンビ的、亡霊的ウィルスを前にわたしはただ引きこもるしかなかった。日常は遠く、非日常はあまりにも近い。青い伝書鳩、玉虫色の無線速達郵便、40分というあまりにも時間耐久度の低い糸電話。少し頼りないところもあったが、これらに頼りきった生活はなんと心強かっただろう。一方でいったい誰が件のゾンビ、あるいは亡霊か分からない世界では、誰もが原罪意識を持ち、身体的な接触、距離が近いことは禁忌事項となった。このタブー意識は共有され、そのうちに勇気ある志願者によって市民自警団が組織された。と言っても、それもまたウィルスと同じように、亡霊的で、ときには禁忌を破った者への罰としてポルターガイストに化けることもあった。マスクをしていない者、営業を続ける飲食店、外部から来た車、そして演劇、ライブ、そのほかの文化的活動は、市民自警団の取り締まりにあった。
騒ぐと言えば、陶酔の神ディオニュソスだが、彼は皮肉にも古代ギリシア悲劇、すなわち演劇の神でもあった。わたしたちができることは、このポルターガイストから逃走=闘争するため、別乾坤=ヴァーチャルに新たなディオニュソスを打ち立てることであった。演劇空間は演者と観客の身体的意思疎通の場だ。演劇は、演劇こそが、この閉塞した瘴気的世界を浄化せねばならなかかった。だから、公演が離散したのは、とても残念でならない。この時、わたしはさまよえる演劇人となった。しかしもはや非常事態ではない。コロナ禍はコロナ禍のまま、日常となった。日常は非日常の侵食にあい、人々の原罪意識も薄れつつある。
しばらくして、亡霊的ウィルスとの契約は重症化する確率を下げるということが科学的に分かった。しかし市民自警団の次は、AP主義者(Anti-Posessionism:反憑依主義者)の団体が作られた。彼らは亡霊と契約するのは、自然に摂理に反するものであり、身体に悪影響を及ぼし、場合によっては死に至ることもあると主張した。契約者とAP主義者は互いに嫌悪しあう関係になったが、AP主義者は少数派であったため、差別の対象となった。徐々にAP主義団体にも行動派と沈黙派に分裂した。沈黙派は差別の対象から逃れるために、基本的には主張をしないタイプの人たちであった。いずれにしても政府は亡霊との契約更新を推進し、医療従事者や病院に出入りするような職種の人は更新は義務付けられていた。
社会的距離は物理的距離、心的距離に直結する。瘴気に浮かぶ絶海の孤島。わたしたちは亡霊とともに生き抜いていくしかないのか。
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