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表現の限界と行政の力を借りて新しい表現をする事の有意義性、両得性について
私はもどかしく、イライラもしていた。この世界の決まりごとの所為で中学生の私は仲間と公園で焚火を注意されてから社会への不信を感じ始めた。が、女性にはこの感覚は分かりにくいのではないかと思う。女性はある意味では従順で社会に反感を持つこともないとほとんどないと思うがと言えば、まぁ電車で痴漢される不幸せには遭う可能性を持っていることで1人の変態から社会不信につながる事もあるだろう。
確かに焚火も危ない事だなとは今では思う。
街の落書きは犯罪だが、インターネットも流通したせいか街の落書きも少なくなった。街に落書きがなくなると街並みは綺麗かもしれないが、なにか賑やかさに欠けて少し寂しいが、目に入る情報量が減るという点で清々しさが私にはある。
確かに街にある落書きで異彩を放っている類のものは確かにある。車を運転している時にかっこいい落書きに出会うとよそ見運転をして事故りそうになる(笑)
そういうアーティストが活躍できる合法の落書きが出来る壁があっても私は良いと思う。人生にむしゃくしゃしてる人がストレスを発散させるために描いても良い壁が街の市町村に会っても良いと思う。そこでベンチに座っておじさん若者興味のある女性がコーヒーやタバコが吸えるコミュニティスペースがあった方が生きる上で会話や議論が進み、地域が発展するのではないかと私は思う。
最近では路上喫煙禁止など法的な縛りも存在する。タバコをたしなむ人は街にどんどん出ないようになるに違いないし、喫茶店でもほぼくつろいでは吸えない。この国に必要なのはリラックスする事だ。皆心のゆとりもほとんどないように私には思われて仕方ないのです。
だからこそ私が思う様なコミュニティで気心の合う仲間や人間同士のくだらないコミュニケーションを行う場所(スペース)があってもいいのではないかと私は思うのですが、皆さんはどう思いますか。
題名の表現の限界ですが、表現の限界は文明の発展で徐々に広がっていくことを私は信じているのですが、アーティストの技術向上等を名目に今度市役所に相談に行ってみようかな等と私は思いました。
街は確かに建物だけだと息苦しいというか空しいし楽しみもないんですよ私個人の感じ方ではそれにお店の看板も客引きのためで街の落書きを見ると嫌悪感はあるかもしれないですけど同時に可能性と生きてるなと実感させられる魅力もあるのです。
そして人間はパソコンの前でだけ創造するのではなく社会に出て創造する必要があると私は思います。