見出し画像

春秋時代の易占 季友の生涯に関する占い①

今週は、春秋時代の易占をご紹介します。

前回、前々回と、魯の国で政治の実権を握っていた貴族、三桓氏について触れました。

三桓氏の「桓」とは、第15代君主 桓公(生年不詳~BC694年)の桓であること、
桓公の子供に、第16代君主 荘公のほか、慶父けいほ叔牙しゅくが季友きゆうの兄弟がおり、その子孫が三桓氏となっています。

本日はその三桓氏の一つ、一番栄えた李孫氏の始祖である季友の生涯に関する占例をご紹介します。

https://m.allhistory.com/detail/58f883cf55b54258e70005dd

■季友の生涯に関する占い
(岩波文庫「春秋左氏伝(上)」170-171頁、閔公2年(※1))

季友が生まれる前、母親のお腹の中にいるとき、父の桓公が、占い師 卜楚丘の父に占わせました。

占い師は、
①まず亀卜で占いました。
亀の甲羅を焼いて、その色とヒビのカタチを見て判断する占いです。

投稿者自身による著作物 BabelStone 2016-08-18 15:20:49, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=79447592による

そしてつぎのように判断しました。

男の子です。
「友」という名がつけられるでしょう。
 成長したら側近として君の側におり、執政となって君を補佐する人物と なります。
この人が亡くなったら、もはや魯は栄えることはできないでしょう

② 次に筮竹で易占いをしました。

出た卦は
「(火天)大有の乾為天に之く」

つぎのように判断しました。

父親の桓公さまと同様に、国君と同様に扱われるでしょう

之卦 乾為天の君主、父親の意味から判断をしたようでした。

その後、
⓷季友が生まれました。

すると手のひらに「友」の字の形の紋がありました。

そこで「友」と名付けました。

占い師の占いがあたりました。

男の子です。「友」という名がつけられるでしょう。

次回以降 季友の生涯をご紹介します。

あわせて、残りの占いの判断を振り返ります

成長したら側近として君の側におり、執政となって君を補佐する人物と なります。
この人が亡くなったら、もはや魯は栄えることはできないでしょう。
父親の桓公さまと同様に、国君と同様に扱われるでしょう。

結論から言いますと、季友の生涯は占いの通りとなります。
当時、魯国はとてつもない政治的混乱に見舞われ、
季友は、その混乱の中で魯国を支え続けます。

季友の生涯は、魯国の君主でいうと
父親の桓公-(第15代)―荘公(第16代)― 斑(第17第)―閔公(第18代)―僖公(第19代)にまたがります。

魯の国の政治の混乱は、あたかも週刊文春の記事のようなドロドロとした内容であり(※2)、その結果、魯国の政治の実権が君主から三桓氏に移り、
社会はさらに混乱し、その中で、孔子が生まれます。

孔子の想い、
・周王朝への復古
・身分制秩序の回復
・仁道政治
・家族的な秩序や規範の尊重
は、そのような社会の混乱と腐敗の中で育まれていきます。


(冒頭画像引用元)Yeu Ninje, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1956670による

※1)春秋左氏伝の閔公2年、BC660年の項にこの占に関する記述があります。BC660というのは日本の初代天皇 神武天皇が即位された年となります。

※2)あまりのドロドロさ加減に、この占例を紹介している著名な著書の一つ「春秋左氏占話考」加藤大岳著58頁は、次のように記載します。
「魯の閨室の描き出す乱脈な唐草模様と、主としてそれに起因する主権争奪の紛争は、いたづらに詳しくお記したとしても、読者は只わずらわしく感じられるだけのことにすぎないと思われますので、差し控えることに致しますが・・・」
たしかに、差し控えても季友の生涯のこの占例は紹介できます。
しかし、昭和40年代の漢籍の知識豊富な方々がたくさんいた時代はいざしらず、令和の現在、いたづらに詳しく紹介することは、魯国の基礎知識を補強し、この占例や孔子の主張の理解にも役立つと思われますので、野次馬根性もあり、以下数回にわたってご紹介する次第です。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集