自分を信じて
好きな言葉
座右の銘
心に響いた言葉
誰でも一つや二つ位はあると思う。
歴史上の人物やアニメや映画のキャラクター、SNSで好きなライターさんやインフルエンサーとか。
あるいは身の回りの上司、先輩、友人、家族。
何か感じること、心に刺さるものがあって自分の好きな言葉、譲れない言葉、ポリシーになる。
自分もいくつかある。
時代や年齢や心境の変化もあり、好きな言葉が入れ替わったり増えたり減ったりしたこともあったけれど、結局一周回ってこれと言うものが残っている。
(うっかり忘れていた埋もれてしまっていたステキな言葉もある「ボールはともだち」とか「あきらめたらそこで試合終了ですよ」とか、色々ね)
今よりずーっと若かった頃は
これが最初に(大人になって)自身が好きな言葉としてしっかりと認識したもの。
映画はリアタイで観ていたからストーリーは覚えていたけど、この台詞はうっすらとしか記憶になかった。
大人になったある時、後に自分をnoteに導いてくれた尊敬してやまない方(その方はnoteには来なくなって久しい。ただnote以外のSNSでは時々お見かけできるのが救い)がSNSで紹介されていて、改めて「これだな」っと思ったのがきっかけ。
当時勤めていた会社では名刺の裏には会社&自己のPR的なことを書くことになって、そこにもこの言葉が書かれていた。
(そこに書くために絞り出したと言えばそうとも言える)
やるか、やらないか。
やるのであれば中途半端はダメ。だからやるって決めたら全力で最善を尽くす。しっかりやって結果を出す。
(「これは、やらない」の時は本当に無関心になることが今でも多い)
とにかく手を抜かない、「これで良い」ではなく「これが良い」になるまでやる。
色々な経験をすると判ることなのだが、手を抜き始めると、手を抜くことが当たり前になる。
確かに
楽である。
疲れなくなる。
いくらでもさぼれる。
でも、一度それに慣れてしまうと元に戻るのは難しい。多分、無理。
そして色々なものを失うことになる。
劇団四季の創立者であり演出家の故浅利慶太(あさりけいた)氏の教えで稽古場や舞台裏に掲げられている
と言う言葉。
これも好きな言葉であり、本当にその通りだと思う。
実際に身の回りでこの言葉通りになっていなくなった(いられなくなった)人を見てきたので。。。
高い意識を持ち、自分に対する厳しい姿勢を求めることは大切。
そんなこんなで、ヨーダや浅利氏の言葉を信じて自分なりに頑張ってきた(他人から見てどうだったかは判りませんが)。
今もこの言葉は大切にしているし、大好きな言葉だけど、だからと言ってヨーダの言葉を誰にでもに押し付けるのは違うと思っている。
例えば…
子供
新人さん
行き詰まったり選択肢が多過ぎたりして何をどうしていいか判らない
と言った「はじめの一歩が踏み出せません!」という人達には言わないようにしている。
その代わりとして
「(失敗しても良いから)まずはやってみよう」
と声をかける。
彼、彼女たちは不安げな表情で恐る恐る、慎重に、ゆっくりとやり始める。
出来る?
出来そう…かも
…もう少し
…出来た!
100点満点ではないけれど、何となく「それっぽく」形になったのが確認できると、ほっとして少しだけ笑顔になる。
緊張していた気持ちが少しほぐれ、その様子を見ていた周りの人も同様に。
二回目、三回目、、、
続けるうちに、何度か繰り返すうちに、時々上手くいかないこともあるけど、少しずつその精度・品質や内容は良くなり、最後はしっかりと形になり、顔付きも明らかに違っている。
結果として達成感が得られることになり本人の自信に繋がっていく。
一つずつ出来ることが増え、そこからの色々な可能性も拡がっていく。
かつての自分もそうだったように、そうして得た自信が次のステップに繋がっていくと信じている。
これも忘れられない、大切な言葉。
自信がなくなり、迷い、思い悩んだ時、自分を奮い起たせてくれる。
いつもここに辿り着く。
自分を信じれば良いと思える。
4月になって一週間あまり。
3月以前から継続中のものもあり、今のところ大きな変化はないけど、これから少しずつ色々なことに取り組むことになる(正確に言うと引き摺り込まれると言うか捲き込まれると言うか……、ま、仕事であるが故のあるあるってヤツ)。
初めてのこともあるだろう。
一つずつ、丁寧に慎重に。時にはゆっくりになるかも。
でもこれまで積み重ねてきたモノを武器にして、自信にして、これまで通りに手を抜くことなく、為すべきことを為す。