ある居酒屋さんのお話し
居酒屋サチは、駅前の繁華街の外れに建つカウンターだけの小さな居酒屋だ。
あーあ、今夜も誰も来ないのかなぁ。
みどりは椅子に座ってあくびをしながらそう呟いた。彼女が一人で切り盛りしているこの小さな居酒屋も、すっかり不景気の波に飲まれてしまっていた。
こんばんは。俺一人だけどいい?
引き戸を開けて、常連の公一が入って来た。彼はカウンターに腰掛けると、みどりが差し出したビールを一気に飲み干した。
暑い日はビールうまいよね。ところでさ、もうすぐママの命日だね。
ママとはこのお店の先代、サチのことだ。彼女が元気だった頃、みどりはここで従業員として働いていた。サチは華やかで客あしらいがうまく、店は彼女目当ての客で、毎日大盛況だった。
ねえ、ママも一杯どう?
そうお客さんに言われてもサチは絶対断らず、どの酒も美味しそうに飲み干して
ご馳走様。
と、お客を上目遣いに見上げて、可愛らしい声でお礼を言うのだった。
ママ、可愛かったよね。女の私が見てもドキドキしちゃった。
みどりは遠い目をしながらそう言った。それに比べて自分は地味で可愛くもないし、気の利いた話も出来ない‥。
私、向いてないのかなぁ。
誰に言うでもなくそう呟くと、それを聞いてた公一が、
向いてなくなんかないよ。
と小さな声でいったが、みどりには聞こえていなかった。
次の日、店に来たみどりがポストを覗くと、一通の手紙が入っていた。差し出し人はなんと、亡くなったサチだった。
店に入り椅子に座って、ジッと手紙を眺める。そして思い切って封をきり、手紙を引き出し広げてみると、ワープロでタイプされた文字が、目に飛び込んできた。
みーちゃんへ
私は学校嫌いで、字も下手くそだから、人に頼んで代筆して貰ってます。お店は頑張ってますか?
ママの声が今にも聞こえてくるようで、思わず涙が溢れ出す。
みーちゃんは、店が繁盛してるときしか知らないんだよね。私が店をはじめた頃はね、酷い不景気で大変でした。お客が来ないなんてザラ。何度辞めようと思ったか。売り上げが悪くてもね、明けない夜はないんだから、気を落とさずお店は続けて欲しいです。
みーちゃんは絶対素敵なママになってるって信じてますから。だって私にはない、いいとこたくさんあるしね。自信持ってちょうだいね‥
読み終わらないうちに、何とも言えない気持ちが込み上げ、みどりは手紙を胸に抱いてワンワン泣いた。これまでの鬱々した気持ちが涙と一緒に流れて行く。
まだ開店前の店の中で、まるで子供みたいに泣いているみどりを、勝手口からそっと見守る公一の姿があった。
(了)