12年ぶりのグラウンド
スポーツ少年団でまず教わることと言えば挨拶、道具を大切にすること、仲間を大切にすることといった基本的なことだ。決して競技の技術云々ではなく。そしてそれはグラウンドという場に対しても同じで、入るときには「お願いします」後にするときには「ありがとうございました」と一礼する。そして、来た時よりもきれいにするかの如く、グラウンド整備も忘れない。競技をする者にとって競技場は神聖な場所なのだ。
スポーツ少年団に所属して野球をしていた小学生時代。それから12年ぶりにとある目的でよく使っていたグラウンドを利用した。書いていてあの頃の倍生きているという事実に驚愕する。人は何気なく生きている間は数直線を意識しないと思うけれど、こうして否応なく差し出される瞬間、私は逞しさよりも儚さを感じてしまう。
一見するには12年前と大きく変わらない。グラウンドの半分にはあの頃の自分と同じくらいの少年たちがサッカーをしていたし、あの頃使っていたラインカーは相変わらず石灰を体いっぱいにため込んでいた。
けれど一つ、時の経過をまざまざと見せつけられたものがある。白い大きなコンクリートをキャンバスに描かれていた壁画が、当時記憶していたそれよりも明らかに黒ずんで、消えかかっていた。当時から、これは何のために描かれたものなのか、何を描いたものなのか、あまりにグラウンドという場に似つかわしくない姿は多くの人にとって謎だった。でも、何度も通っているうちにそれはグラウンドのシンボルとして私の中には認識されていった。
そんなシンボルが、見る影もないほどかすれて黒ずんでいる姿に、最も12年を感じてしまったのである。
でも、12年。144か月。4380日。壁画はそのうちの何日かは雨に打たれ、何日かは砂ぼこりをあび、それ以外のほとんどは強い紫外線を受けとめてきたのだろう。そりゃ、黒ずみもするし薄れもするよなと思う。
グラウンドという場は好きだ。今は、野球は趣味程度にしかしていないけれど、今でもグラウンドに足を踏み入れれば高揚する。それは過去に幾度も野球で、体と心を動かしてきたからに他ならない。語りつくせない程の物語がグラウンドで起こったし、野球を通じてできた人間関係もある。全部全部、グラウンドの中にあった。
私がグラウンドを使わなくなってから今までの12年間。144か月。4380日。中学、高校、大学で苦しんでいた時間も楽しかった日々の間もずっと、そこに在ったグラウンドでは相変わらずたくさんの、真剣なまなざしをした少年少女が競技に向き合ってきたことだろう。何人もの汗も涙も目の当たりにして、時には土で受け止めてきたかもしれない。自分が駆けていたときよりも、12年分の物語を吸収したグラウンドは、ならばきっと、12年分逞しい。
役目を終えるその日まで、同じ場所で、これから何年も歴史を積み上げていくであろうグラウンド。これはグラウンドに限らずあらゆる施設、建造物、人の営みが通う場では必然の運命かもしれない。余計なお世話かもしれないけれど、歳取ったね。でも今の方が渋みが出ていて、かっこいいグラウンドになっているよと、次に行ったときは心の中で唱えてみることにする。
今日、予定を終えてその場を後にするとき、じっくりグラウンドを見渡した。そこには12年前必死になって駆けまわっていた自分の背中がみえた気がした。