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デヴィッド・リカードの経済学:『経済学および課税の諸原理』とその影響

デヴィッド・リカード(1772-1823)は、19世紀初頭に活躍したイギリスの経済学者であり、『経済学および課税の諸原理』(1817年)を著したことで知られています。

この著作は、古典派経済学の金字塔とされ、現代経済学にも大きな影響を与えています。

本稿では、リカードの生涯と業績を概観し、『経済学および課税の諸原理』の内容、特に比較優位、労働価値説、地代論などを中心に解説するとともに、同書が経済学に与えた影響について考察します。


リカードの生涯と業績

リカードは、ロンドンでユダヤ系ポルトガル人の家系に生まれました。

21歳の時、クエーカー教徒の女性と結婚し、自身もユニテリアンに改宗したため、家族から勘当されました。

彼は株式仲買人として財を成し、27歳でアダム・スミスの『国富論』を読んで経済学に興味を持つようになりました。

37歳で最初の経済学論文を執筆し、その後14年間、経済学者として活動しました。

リカードは、地金論争で経済学者としての名声を高めました。

1809年、ナポレオン戦争下のイギリスでは、金本位制が停止され、イングランド銀行が紙幣を過剰に発行したため、インフレが発生していました。

リカードは、このインフレの原因はイングランド銀行の過剰な紙幣発行にあると主張し、金本位制への復帰を訴えました。

これは、貨幣数量説の初期の萌芽を示すものであり、リカードの経済学者としての地位を確立する上で重要な役割を果たしました。

また、1815年に発表した『穀物低価格の影響について』では、収穫逓減の法則を明確に示しました。

これは、土地などの生産要素が一定である場合、労働などの可変要素の投入量を増やしていくと、当初は生産量が増加しますが、ある時点を過ぎると、追加的な生産量の増加分は次第に減少していくという法則です。

この法則は、農業における生産性と地代の関係を分析する上で重要な役割を果たしました。

リカードは、経済学だけでなく、政治家としても活動しました。1819年から1823年までアイルランドのポートアーリントンの選挙区選出の下院議員を務め、金融および議会改革に取り組みました。

さらに、1819年にマンチェスターで起きたピータールーの虐殺事件の調査を主導するなど、社会問題にも積極的に関与しました。

この事件は、選挙法改正を求める民衆に対し、騎兵隊が突撃して多数の死傷者を出した事件であり、リカードは議会でこの事件の真相究明と責任追及を強く訴えました。

リカードは、賃金の鉄則と呼ばれる賃金理論を提唱しました。

この法則は、労働者の賃金は長期的には生存に必要な最低限の水準に落ち着くというものです。

リカードは、賃金が上昇すると人口が増加し、労働供給が増えるため、賃金は再び低下すると考えました。

この理論は、後のマルクス経済学にも影響を与えましたが、現代経済学では、労働組合の交渉力や労働生産性の上昇など、賃金決定に影響を与える他の要因が考慮されています。

『経済学および課税の諸原理』が出版された背景と目的

『経済学および課税の諸原理』は、ナポレオン戦争後のイギリス経済が抱える問題に対処するために執筆されました。

当時、イギリスでは穀物法によって穀物の輸入が制限され、穀物価格が高騰していました。

これは、国内の農業を保護するためでしたが、食料価格の上昇は国民生活を圧迫し、経済成長を阻害する要因となっていました。

リカードは、穀物法は地主の利益を守る一方で、資本家や労働者の負担を増やし、経済成長を阻害すると考え、自由貿易を主張しました。

リカードは、アダム・スミスの『国富論』を高く評価していましたが、その内容には批判的な点もありました。

特に、スミスの地代論や価値論に疑問を抱き、独自の理論を展開しました。

リカードは、スミスが地代を土地の産物から得られる超過利潤と定義したのに対し、地代は土地の肥沃度の差によって生じる差額地代であると主張しました。

また、スミスが価値を需要と供給の関係で説明したのに対し、リカードは価値を生産に必要な労働量で説明する労働価値説を提唱しました。

リカードは、『経済学および課税の諸原理』を執筆するにあたり、それまでの経済学説を批判的に検討し、独自の理論を体系化しました。

本書は、初版(1817年)の出版後、第2版(1819年)、第3版(1821年)と改訂を重ね、リカードの経済思想の進化を反映しています。

リカードは、本書を通じて、経済学の体系化を図り、自由貿易の重要性を訴えるとともに、イギリス経済の健全な発展に貢献することを目指しました。

『経済学および課税の諸原理』の主要な内容

『経済学および課税の諸原理』は、価値論、分配論、貿易論、租税論など、経済学の広範なテーマを扱っています。

ここでは、特に重要な内容である比較優位、労働価値説、地代論について解説します。

比較優位

リカードは、国際貿易において、各国がそれぞれ得意な分野に特化し、互いに貿易を行うことで、すべての国が利益を得られるという比較優位の理論を提唱しました。

ある国がすべての財の生産において絶対的な優位性を持っていても、他の国と比較して相対的に有利な財を専門的に生産し、貿易を行うことで、より多くの利益を得られるという考え方です。

例えば、ポルトガルはイギリスよりも布とワインの両方の生産において効率的であったとしても、ポルトガルがワインに、イギリスが布に特化し、互いに貿易を行うことで、両国はより多くの布とワインを手に入れることができます 。

これは、各国が自国の資源を最も効率的に利用できる分野に集中することで、全体の生産性が高まり、経済全体のパイが大きくなるためです。

比較優位の理論は、重商主義的な貿易政策を批判し、自由貿易の重要性を示すものとして、画期的なものでした。

重商主義は、貿易黒字を重視し、輸出を奨励し輸入を制限する政策ですが、リカードは、自由貿易によって各国が比較優位を持つ財を専門的に生産することで、全体の経済厚生が高まると主張しました。

比較優位の理論の限界
ただし、比較優位の理論には、いくつかの限界があることも指摘されています。

  • 要素賦存の固定性

比較優位の理論は、各国に賦存する生産要素 (労働、資本、土地など) が固定されていることを前提としていますが、現実には、生産要素は国際間で移動することがあります。

  • 技術の進歩

比較優位の理論は、技術水準が一定であることを前提としていますが、現実には、技術は常に進歩しており、比較優位は変化することがあります。

  • 規模の経済

比較優位の理論は、規模の経済 (生産量が増加するにつれて、平均費用が減少すること) を考慮していませんが、現実には、規模の経済が存在することが多く、比較優位に影響を与える可能性があります。

労働価値説

労働価値説の概要
リカードは、財の価値は、その生産に必要な労働量によって決まるとする労働価値説を主張しました 。

これは、アダム・スミスから受け継いだ考え方ですが、リカードはそれをより厳密に体系化しました。

リカードは、財の交換価値は、その生産に直接・間接的に投入された労働量に比例すると考えました。

例えば、1着の服を作るのに10時間の労働が必要で、1台の自転車を作るのに20時間の労働が必要であれば、自転車の価格は服の価格の2倍になると考えられます。

労働価値説の問題点
ただし、リカードは、労働価値説がすべての財に当てはまるわけではないことを認識していました。希少性や耐久性など、労働以外の要素も財の価値に影響を与えることを認めています。

現代経済学では、労働価値説は、財の価格形成メカニズムを説明する理論としては、限界効用理論に取って代わられています。

限界効用理論は、財の価値は、消費者がその財から得る満足度 (効用) によって決まるとする理論です。

しかし、労働価値説は、財の価格形成における労働の役割を強調する点で、依然として重要な視点を提供しています。

労働価値説は、資本家の搾取や労働疎外といった問題を分析する上でも重要な役割を果たしてきました 。

マルクスは、労働価値説に基づき、資本主義社会における搾取のメカニズムを解明しようとしました。

地代論

地代の発生メカニズム
リカードは、地代は土地の希少性と肥沃度の差によって生じるとする地代論を展開しました 。

肥沃な土地は、少ない労働力で多くの収穫を得られるため、その差額が地代として地主に支払われます。

リカードは、人口増加に伴い、耕作地が拡大していくと、より肥沃度の低い土地も利用されるようになり、地代が上昇すると考えました。

これは、食料需要の増加によって穀物価格が上昇し、肥沃な土地の地代もそれに伴って上昇するためです。

地代論の例
リカードの地代論を、以下の表を用いて具体的に説明します。

この表は、3つの等級の土地があり、それぞれの土地に同じ量の労働と資本を投入した場合の生産量と地代を示しています。等級1の土地が最も肥沃で、等級3の土地が最も肥沃度が低いです。

人口が少ないうちは、等級1の土地だけで十分な食料を生産できます。このとき、地代は発生しません。

しかし、人口が増加し、等級2の土地も耕作する必要が生じると、等級1の土地には10単位の地代が発生します。

これは、等級1の土地で生産した方が、等級2の土地で生産するよりも10単位多く生産できるためです。

さらに人口が増加し、等級3の土地も耕作する必要が生じると、等級1の土地の地代は20単位、等級2の土地の地代は10単位になります。

地代論の現代経済学への応用
リカードの地代論は、土地所有者と資本家、労働者の間の分配関係を分析する上で重要な役割を果たしました。

現代経済学では、リカードの地代論は、都市経済学や環境経済学にも応用されています 。

例えば、都市部では、中心部に近い土地ほど地代が高くなる傾向がありますが、これは、中心部に近い土地ほど利便性が高く、希少性が高いからです。

また、環境経済学では、環境汚染を引き起こす企業に排出権取引を導入することで、環境汚染を抑制することができますが、これは、排出権を希少な資源とみなし、地代と同じようなメカニズムで排出量をコントロールするという考え方です。

『経済学および課税の諸原理』が経済学に与えた影響と、現代経済学におけるその位置づけ

『経済学および課税の諸原理』は、古典派経済学の基礎を築き、その後の経済学の発展に大きな影響を与えました。

特に、比較優位の理論は、自由貿易の重要性を示すものとして、現代経済学においても重要な位置を占めています。

リカードの労働価値説は、マルクスの資本論にも影響を与えましたが、現代経済学では限界効用理論が主流となっています。

しかし、労働価値説は、財の価格形成メカニズムを考える上で、依然として重要な視点を提供しています。

リカードの地代論は、現代経済学の地代論の基礎となっています。

土地の希少性と肥沃度の差が地代を生み出すという考え方は、現代の都市経済学や環境経済学にも応用されています。

リカードは、本書の第3版で、機械導入の影響についても分析しました。

彼は、当初、機械導入は生産性を向上させ、すべての社会階層に利益をもたらすと考えていましたが、後に、機械導入は労働者を失業させ、労働者の生活水準を低下させる可能性があると指摘しました。

これは、技術革新が雇用に与える影響について、初期の重要な分析であり、現代の経済学においても議論されています。

結論

デヴィッド・リカードの『経済学および課税の諸原理』は、古典派経済学の金字塔であり、現代経済学にも大きな影響を与えた重要な著作です。

比較優位、労働価値説、地代論など、リカードが提唱した理論は、現代経済学においても重要な意味を持ち続けています。

リカードは、本書を通じて、自由貿易の重要性、経済成長のメカニズム、社会階層間の分配関係など、現代経済学の主要なテーマについて深い分析を行いました。

彼の思想は、後の経済学者たちに多大な影響を与え、現代経済学の発展に大きく貢献しました。

特に、比較優位の理論は、グローバリゼーションが加速する現代において、ますますその重要性を増しています。

各国が自国の比較優位を生かし、自由貿易を推進することで、世界経済の成長と発展を促すことができます。

また、リカードの労働価値説は、現代経済学では限界効用理論に取って代わられていますが、労働の価値や分配の問題を考える上で、依然として重要な視点を提供しています。

リカードの地代論は、現代の都市経済学や環境経済学にも応用されており、土地や環境資源の利用と分配を考える上で重要な理論的枠組みを提供しています。

『経済学および課税の諸原理』は、経済学を学ぶ上で必読の書と言えるでしょう。

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