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ダロン・アセモグル著『自由の命運』:国家と社会のせめぎ合いが生み出す自由への道

2024年のノーベル経済学賞を受賞したダロン・アセモグル教授。

彼の話題作『自由の命運:国家、社会、そして狭い回廊』(早川書房)は、国家と社会の関係が自由の獲得と維持にどのように影響するかを探求した意欲的な作品です。

アセモグル教授は、共著者のジェームズ・A・ロビンソン教授と共に、包括的な政治制度と経済成長の関連性に関する研究で知られており、本書ではその知見をさらに深め、自由という概念そのものに焦点を当てています。


「狭い回廊」とは何か?

本書の中心的な概念である「狭い回廊」とは、国家権力と社会の力の均衡状態を指します。

アセモグル教授は、国家が専制的な「リヴァイアサン」と化して社会を支配する「専制的リヴァイアサン」、国家権力が欠如し無秩序状態に陥る「不在のリヴァイアサン」、そして国家が形式的に存在するものの実質的な権力を持たない「紙のリヴァイアサン」といった、国家と社会の様々な関係性のパターンを提示しています。

その上で、真の自由が実現されるのは、国家と社会が互いに牽制し合い、均衡を保つ「狭い回廊」を進んでいる時であると主張します。

国家権力が強すぎると社会を抑圧し、個人の自由を奪う専制政治へと傾倒します。

逆に、社会の力が強すぎると国家は統制力を失い、無秩序状態や派閥主義に陥り、これもまた自由を脅かす要因となります。自由を獲得し、維持するためには、国家と社会が「赤の女王効果」のように、互いに競い合いながらも協力し、狭い回廊を進んでいく必要があるのです。

この回廊をうまく進むことができた国として、アメリカ、スイス、スウェーデンなどが挙げられています。

これらの国では、国家は強力な権力を持つ一方で、市民社会もまた活発であり、国家権力に対する監視と抑制の役割を効果的に果たしています。

一方、回廊から外れてしまった国として、北朝鮮、ロシア、グアテマラなどが挙げられています。

北朝鮮は専制的な国家権力によって個人の自由が著しく制限されており、ロシアもまた近年、国家権力の強化と社会の抑圧が進んでいます。

グアテマラは国家の統治能力が弱く、暴力や犯罪が蔓延し、自由が脅かされている状態です。

自由への道:国家と社会のせめぎ合い

アセモグル教授は、歴史的な事例を豊富に用いながら、国家と社会のせめぎ合いが自由を生み出すメカニズムを解き明かしていきます。

例えば、立憲君主制として知られるイギリスは、フランス革命の影響を受け、マグナカルタや権利章典といった社会の権利を保障する制度を生み出すことで、国家権力と社会の力の均衡を保ち、産業革命へとつながる自由を獲得しました。

一方、南アフリカでは、アパルトヘイトという国家による抑圧に対し、社会の力による抵抗運動が最終的にアパルトヘイトを廃棄に導き、自由を獲得しました。

これらの事例は、自由への道は決して平坦ではなく、国家と社会の絶え間ないせめぎ合いの中で、その均衡を維持する努力が求められることを示しています。

自由は、国家の強力な統治能力と、社会の活発な参加の両方が必要であり、どちらか一方に偏ることで脅かされる可能性があるという重要な教訓を提示しています。

自由を脅かすもの

現代社会においても、自由は様々な脅威にさらされています。

国家による監視の強化や言論統制、社会における分断や不寛容など、自由を阻害する要因は枚挙にいとまがありません。

アセモグル教授は、これらの脅威に対し、国家と社会が協力し、狭い回廊を維持するための不断の努力が必要であると警鐘を鳴らしています。

特に、ポピュリズムの台頭、民主主義の規範の侵食、政府の監視権限の強化といった現代社会における自由への脅威は深刻化しています。

ポピュリズムは、民主主義の制度を利用しながらも、その実質をくりぬき、自由を侵害する可能性を孕んでいます。また、インターネットやAI技術の発展は、国家による監視能力を飛躍的に向上させ、プライバシーの侵害や言論統制のリスクを高めています。

テクノロジーと自由の未来

アセモグル教授は、テクノロジーの発展が自由にもたらす影響についても分析しています。

テクノロジーは、情報へのアクセスを容易にし、市民の政治参加を促進するなど、自由を強化する可能性を秘めています。

一方で、国家による監視や情報操作、社会の分断を加速させるなど、自由を脅かす可能性も孕んでいます。

重要なのは、テクノロジーをどのように利用し、制御するのかという点です。

アセモグル教授は、テクノロジーがもたらす負の側面を抑制し、自由を促進するために、国家と社会が協力し、新たなルールや制度を構築していく必要性を訴えています。

包括的な制度の重要性

アセモグル教授は、前著『国家はなぜ衰退するのか:権力・繁栄・貧困の起源』(早川書房)で、「包括的な制度」の重要性を強調しました。

包括的な経済制度とは、法の支配、契約の履行、私有財産の保護などを特徴とし、人々の生産性を促進する制度です 。

具体的には、安全な財産権、公平な法執行、開かれた市場、そして誰もが経済活動に参加できる機会の平等といった要素が挙げられます。

これらの要素が保障されることで、人々は安心して経済活動に従事し、イノベーションや投資を促進することができます。

一方、排他的な制度は、少数のエリートが権力と資源を独占し、経済成長を阻害する制度です。奴隷制、農奴制、エンコミエンダ制などがその例として挙げられます。

これらの制度の下では、人々は経済活動の成果を奪われ、努力する意欲を失い、社会全体の経済発展が阻害されます。

『自由の命運』では、この包括的な制度の概念をさらに発展させ、自由の獲得と維持には、政治的にも経済的にも包括的な制度が不可欠であると主張しています。

政治的な包括性とは、権力が特定の集団に集中することなく、広く分散され、市民が政治に参加できる状態を指します。経済的な包括性とは、誰もが経済活動に参加し、その成果を享受できる状態を指します。

アセモグル教授の他の著作との関連性

アセモグル教授は、『自由の命運』以外にも、『国家はなぜ衰退するのか』や『技術革新と不平等の1000年史』など、数多くの重要な著作を発表しています。

これらの著作は、いずれも制度、政治、経済、そして社会の発展との関連性を深く考察したものであり、『自由の命運』と合わせて読むことで、アセモグル教授の思想をより深く理解することができます。

例えば、『国家はなぜ衰退するのか』では、国家の盛衰を決定づける要因として、包括的な制度と排他的な制度という二項対立的な概念を用いて分析しています。この分析枠組みは、『自由の命運』においても重要な役割を果たしており、自由の条件を考察する上で欠かせない視点となっています。

また、『技術革新と不平等の1000年史』では、技術革新と社会の力関係の相互作用に焦点を当て、技術進歩が必ずしも社会全体の進歩に繋がるとは限らないことを歴史的な事例を通じて示しています。

この視点は、『自由の命運』においても、テクノロジーと自由の関係性を考察する上で重要な示唆を与えています。

議論の余地

『自由の命運』で提示された「狭い回廊」の概念は、国家と社会の関係性を理解する上で重要な枠組みを提供する一方で、いくつかの批判や議論の余地も存在します。

例えば、狭い回廊の概念は、国家と社会を二項対立的に捉えすぎているという批判があります。現実の社会では、国家と社会は常に明確に区別できるわけではなく、相互に浸透し、複雑に絡み合っています。

また、狭い回廊の概念は、歴史的な事例に基づいて構築されていますが、現代社会の複雑な状況にどこまで適用できるのかという疑問も残ります。

さらに、アセモグル教授は、自由の獲得と維持には国家と社会のせめぎ合いが不可欠であると主張していますが、このせめぎ合いが常に平和的なものであるとは限りません。

歴史的には、自由を求める社会運動が暴力的な衝突に発展した事例も少なくありません。

これらの批判や疑問は、『自由の命運』の議論をさらに深化させる上で重要な視点となります。

論文「比較開発の植民地起源」との関連性

アセモグル教授は、サイモン・ジョンソン教授、ジェームズ・A・ロビンソン教授と共著で、植民地時代の制度が現代の国家間経済格差にどのように影響しているかを分析した論文「比較開発の植民地起源」を発表しています(日本語訳はまだないと思います)。

この論文では、ヨーロッパ人入植者の死亡率が高い地域では排他的な制度が発展し、死亡率が低い地域では包括的な制度が採用されたという仮説を検証しています。

そして、これらの制度の持続性が現代の経済パフォーマンスに大きな影響を与えていることを示し、制度の質が開発を促進する上で重要であることを強調しています。

この論文で示された制度と経済発展の関係性は、『自由の命運』で展開される自由と国家・社会の関係性とも深く関連しており、アセモグル教授の研究の一貫性を示すものと言えるでしょう。

対象読者

『自由の命運』は、政治学、経済学、歴史学を融合させた、重厚かつ刺激的な作品です。

自由とは何か、どのように獲得し、どのように維持するのか、現代社会における自由の課題とは何か、といった根源的な問いに対する示唆に富んだ議論が展開されています。

特に、政治や経済に関心のある読者、国際関係や社会問題に関心のある読者 、そして現代社会における自由のあり方について深く考えたい読者にとって 、本書は必読と言えるでしょう。

現代社会は、情報技術の発展やグローバル化、社会構造の変化など、かつてないスピードで変化しています。

このような変化の時代において、自由の概念はますます重要性を増しており、本書は、現代社会における自由の課題を理解し、その未来を考える上で貴重な視点を提供してくれるでしょう。

結論

『自由の命運』は、自由の獲得と維持という普遍的な課題に対し、歴史的な視点と現代的な視点の双方から深く切り込んだ、示唆に富んだ作品です。

セモグル教授の洞察は、現代社会における自由の重要性を再認識させるとともに、私たちが自由を守るために何ができるのかを問いかけています。

特に、政治や社会問題に関心のある読者にとって、本書は、現代社会における自由の条件や課題を深く理解する上で、必読の書と言えるでしょう。

国家と社会の力関係、制度の役割、テクノロジーの影響など、本書で議論されているテーマは、今日の社会においても極めて重要な意味を持っており、読者に多くの示唆を与えてくれるはずです。

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