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キャリコン的映画レビュー:黒澤明監督作品『蜘蛛巣城』

黒澤明監督、三船敏郎主演の『蜘蛛巣城』はとても好きな作品です、原作のシェイクスピア『マクベス』も好きですね
何が好きなのかというと、人の運命とか悲劇、欲望、業が実に見事に描かれているからです。さらにキャリコン視点では人の行動変容について興味深い論点も見出すことができます。今回はこの映画をキャリコン視点でレビューいたします(ちなみに見出しの絵は三船敏郎の有名なシーンをipadで描きました)

まずはザックリとしたストーリーです

鷲津武時(三船敏郎)と三木義明(千秋稔)は無二の親友であり主君・都築国春に使える身。森で物の怪の妖婆から鷲津が都築に変わり主君になるなどの予言を聞く。鷲津は妻の浅茅(山田五十鈴)にその話をすると妻にそそのかされ三木を裏切り、ついに主君・都築まで殺してしまうのであった、、、

主君に仕える立派な武将であった鷲津武時(三船敏郎)が、予言を聞いたことで親友も裏切り、主君も裏切るという権力欲や、人間の業、最後には悲劇に転落する様が見事に描かれています。三船敏郎の体を張った熱演、山田五十鈴の狂気の悪妻ぶりなど名優の演技も素晴らしいですし、合戦のシーンもさすが黒澤明かなり迫力があります。実際に本物の弓矢が三船敏郎の顔付近を通過して本当に驚愕した場面でもカメラを回し本編で採用しました。それが見出しに描いた場面です。
本作はこのように見どころがたくさんあり個人的には黒澤映画の中でも上位に入る傑作だと思っています。未見の方にはぜひお勧めしたいです!

さて、本作をキャリコン視点でレビューしましょう。
まず、私は若い頃に見た時に感じたことと去年見直して感じたことに大きなギャップがありました。若い頃見た時はいかにも預言者風な物怪のお婆さんが霊的な力で予言をして運命に操られるように転落してゆく男を描いていると思ったのですが、見直してみると物怪のお婆さんは決して霊的な力で予言をしたのではないと気が付きました。

物怪のお婆さんは情報や感情のコントロールにより行動変容を促しただけなのです。映画では物怪のお婆さんは多くの予言をするのですがここはシンプルに一つの予言について考えてみましょう。

予言:鷲津が都築に変わり主君になる

これを聞いた鷲津はそんなことはないと笑い飛ばすのですが、悪妻は違いました。もしこのことを友人の三木が主君の耳に入れたらあなたは殺されるというのです。
悪妻から見ると夫を守るためにそう考えたのでしょうが、確かに主君に耳打ちするかどうかは三木次第であり鷲津はコントロールできませんし逆も然りです。その意味では親友同士の鷲津も三木は互いに疑心暗鬼になるように感情が変容します。

そして先回りして鷲津は主君を殺します。その結果予言通り鷲津は新君主になるのです。ここからわかるのは、物の怪の妖婆は霊的な力で鷲津の運命を言い当てたのではなく、そうなるように行動変容を促したのです

情報のインプット→行動→結果、つまり

予言を与える(不安になる)→主君を殺す→不安がなくなる

という心理学でいう行動分析的なコントロールをしただけなのです。スキナーという心理学者の行動分析は別途記事にしたいと思いますがここでは物の怪の妖婆が心理学の行動分析を利用したということだけイメージいただければと思います。

私が原作を書いたシェイクスピアがすごいなあと思うのは、彼の生きたのは16世紀ですから魔女とか物の怪とかが実際にいると信じられていた時代です。なので物語として霊的な力で予言をするという設定でも良かったと思うんですね、でもシェイクスピアはそうしなかった。
まるで現代の行動分析学を知っているかのように、情報や行動の制御により人を操れることに気がついていた点です。これは驚くべき先見性ですね、だからこそ古典として今でも読み継がれるのでしょう。

今回は一つの予言だけを取り上げましたが、映画では他にも予言が出てきますので、それらを情報や行動という観点で分析すると面白いと思います。

以上、シェイクスピアのような古典や黒澤映画のような古い作品はちょっと難しそうでとっつきにくいかも知れませんが現代にも通じる普遍的なテーマが発見できます、さすが名作と言われるだけありますね、ぜひお勧めしたいです

ではでは

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