映画『GAGARINE/ガガーリン』感想
予告編
↓
本日3/27は、人類初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンの命日だそう。
というわけで今日は、そんな彼の名を冠した映画『GAGARINE/ガガーリン』の感想文を投稿しますー。
ホームシック
フランスのパリ郊外。”ガガーリン団地” という名の、2024年に開催予定のパリ五輪のために取り壊された、実在した団地が舞台の物語。お察しの通り、団地の名前の由来は、かの有名な旧ソ連の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリン。団地に住む主人公ユーリ(アルデニ・バティリ)が、あの手この手で取り壊しを阻止しようとするんだけどさ……。その過程というか様子というか、映像の見せ方が凄く面白い。たかが老朽化した団地の取り壊しに、宇宙を想像させられるとは思わなんだ。
ユーリは、入居者がいなくなった団地の中を、まるで宇宙船内かのように改造していたのです。
実は監督両名(ファニー・リアタール氏、ジェレミー・トルイユ氏)が、本作においてガガーリン団地がどのような存在であるか、その意図をインタビューで答えています。
「なるほど」と思ったし、実際そのように描かれていました。だから、今から僕が述べる内容は確実に間違っている笑。けれど、ある意味真逆のようなインスピレーションを誘発させるのは、この映画の良いところだ(と勝手に思っている)し、その表裏一体の感じもまた良い味わいになっていたんじゃないかな。セリフが無く、筆舌に尽くし難い類の神秘的なBGMが添えられただけの団地の姿が流れたり、赤と青の使い分け、或いはそのグラデーションによる表現の美しさ等々、こういう作品こそ映画館で楽しめて良かったと思える。ひたすらに映像や音のみと向き合う没入感。イマジネーションに酔い痴れられること請け合いです。
団地を守るために奮闘しながらも、老朽化という抗いようのない厳しい現実にぶつかり、いよいよ取り壊しが現実味を帯びてきた時、ユーリの姿を中心にゆっくりと回転し始めるカメラ……。直前に流れた、役人らしき人物が団地の老朽化についての報告をする声が流れ、まるで宇宙飛行士の活動報告のようにも聞こえてくることにより、上かも下かも分からなくなったかのようなこのカメラワークが、無重力空間を表現しているようにすら見えてくる。それは団地の外——宇宙船の外——が、どこか人間が生存できる場所ではなく、空気の無い宇宙空間なんじゃないかと思わされる不思議さに繋がる。
団地からなかなか出ることができないユーリにとって、船外には自由とは裏腹な終焉が見えていたのかもしれません。取り壊された他の団地のプレートを見つけた際に、「団地の墓場」と言っていた前出のシーンの影響もあったのかな? どこかのロケットの打ち上げ失敗の映像が流れていたからなのかな? ……とまぁ、挙げたら切りが無いのだけれど、あまり物言わぬユーリの心情が垣間見える、そういう瞬間が何度も訪れる。
最期の最後、実際に取り壊されるガガーリン団地の映像と共に、元居住者たちの声が流れてくる。そこでは何故かこの団地のことを「彼」と呼んでいたのだけれど、その瞬間、本作を鑑賞しながらなんとなく感じていたことがハッキリと形になったような印象を受けたんです。物語の中で出てきたモールス信号は、ある種、本作で描かれるユーリら若者たちのドラマにおけるキーであると同時に、言語に囚われることなく “誰とでも会話できる” というモールス信号の性質から、「どんなものにも声や想いがあるんじゃないか」とすら思わされる。“ユーリ” というガガーリンそのまんまの名前も然り、今思えば、主人公ユー リはまるでガガーリン団地の権化のような存在だった。最期の入居者となり、「まだ大丈夫だ」と言わんばかりに老朽化に抗う姿も、クライマックスの大仕掛けも、ユーリ自身の叫びのようでありながらも、同時にガガーリン団地の気持ちを体現していたかのようにも見えてくる。
ラスト、彼を見つめる元居住者の瞳は、取り壊される直前のガガーリン団地を見つめるそれと同じ。悲しみのような切ない目、はたまた感謝しているかのような温かい表情、どちらにも取れる。その多くをセリフではなく映像で語っていたからこそ何重もの解釈ができて、非常に楽しかった。そして迎えるエンドロール、「この音は何だろう?」 と思って聞いていたけれど、多分それはロケットが発射する時の音。前述の打ち上げ失敗の映像があったからこそ、ここで流れる音を聴くだけで「あ、今度は無事に飛び立つことが出来たんだな」と理解できた。とても秀逸な作品だったと思います。
#映画 #映画感想 #映画感想文 #映画レビュー #コンテンツ会議 #ガガーリン #宇宙飛行士 #GAGARINE
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?