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映画『コリーニ事件』感想
予告編
↓
本文中にさ、
「戦争という悲しい惨劇が歴史から消えることは絶対に無いが、戦争を知る者が少なくなっている現代、つまり “戦争が過去の出来事になった今”~」
ってなことを述べているのですが、、、。
公開当時は、本当にそう思っていたんでしょうね、、、。「まぁどっかしらの見知らぬ遠い国で起きているっぽいけど、日本に暮らしている者にとっては戦争は過去のもの」ぐらいの認識。
今じゃ毎日のようにそんな話題がテレビから流れてきています。
複雑な心境になるかもしれないですが、とても良い映画だったと思います。よければどうぞー。
“正義” に挑む
サスペンスミステリーである本作は、まったくヒントが無い中、少しずつ謎を紐解こうと奮闘する主人公の姿が描かれ続けます。観る側は主人公と同時進行で真相に近付くことになるため、主人公と同じタイミングで同じ感情になることが出来る。そういう理由もあって、明確なネタバレはしていないものの、本項を読むのは鑑賞してからの方が良いんじゃないかな? なんて思っちゃいます……。未見の方が本項から目を離す前に一つだけ述べるなら……、この『コリーニ事件』…凄いぞ!!
例えば『ジョジョ・ラビット』(感想文リンク)も確かに良い映画でした。けれどやはり、この手のテーマを扱うことに関してアメリカ映画とドイツ映画では重みがまるで違う。不都合な真実を、法廷という正義を問う場所を舞台に描く本作は、内容の濃さ、後味、演出のどれを取っても見応え充分。
法廷モノの弁護士主人公というと、新人だろうが達者な弁論や強い気迫、そして核心を突くような証拠やセリフを用いた形勢逆転劇が見ものかもですけど、本作の主人公ライネン(エリアス・ムバレク)は、そうでもない。
いや確かに優秀ではあるのですが、器用さや弁の達者具合で言えば相手方の老練弁護士らの方が上手にも見える。しかしこの物語の本質との相性で言えば、新人弁護士らしい手続き上の不備等の拙さ、そして何より愚直なまでの真っ直ぐさな信念を持つライネンの方が上等。司法の仕組みではなく、正義の本質、本懐、在り方を問うような姿は、法廷モノだからこそより一層際立ちます。言論の力強さとはまた違った法廷モノの魅力を改めて再認識させられました。
本作は描き方も非常に秀逸。各所で良いなと思うシーンはたくさんありましたけど、一番好きなのはピザ屋の前のシーン。最初にピザ屋に寄った時は、事の真相がなかなか掴めずに苦労していたライネン。おまけに車もエンストして動かなくなり、雨にも降られ、踏んだり蹴ったりの状態でした。
しかしある時、思いも寄らなかった形でヒントを見つけ、それをきっかけに物語が動き始める。その直後に再びピザ屋前のカットに移行する……今度は動くようになった車で。エンストした時と全く同じ “車なめピザ屋” という構図でありながらも、先程と違って動くようになった車が、動き出した謎解きを連想させ、エンストしていた前出のシーンが後出のシーンを映えさせる。こういった反復と変化の演出はとても見事ですし、しかもそれがさりげないのがより良いと思います。
少しずつ核心に迫る——。戦争という悲しい惨劇が歴史から消えることは絶対に無いが、戦争を知る者が少なくなっている現代、つまり “戦争が過去の出来事になった今” だからこその物語。加害者が加害者ではなくなることはあるが、被害者が被害者ではなくなることは決して有り得ないという現実を突き付けられたと同時に、「じゃあ法は何の為に?」という問いに直面する。刑罰のためか、秩序のためか……、正義ではないのか? じゃあ先に述べた現実は正義なのか……?
このコリーニ事件に関して、仮に真実を突き止めたとしても「誰も幸せになれない」——そう言われてもなお、愚直に突き進んだライネンが導き出した真相は、相手方、そして世間の声までをひっくり返したように見えました……。
けれど迎えるラストは、決して晴れやかなものではありません。ハッピーエンドでもバッドエンドでもない。超が付くほど個人的見解ですが、あくまでも本作は「正義とは何か?を示す」のではなく「正義とは何か?と問う」ものだったんじゃないかな?
そんなラストの後に流れるテロップもまた非常に効果的。何か主張を訴える時の “映画” が持つ力強さは半端じゃない。
今思えば、序盤に幾度か描かれたシャドーボクシングのシーンが含蓄する所も大きい。サンドバッグやミット打ちとは異なり手応えの無い中で、見えない何かと戦っているかのようなライネンの姿は、この事件での彼自身の心情のメタファーのよう。あるシーンで流れた、左右から交互に音が聞こえるBGMも、揺れる心情を表現していたのかもしれない。こういった演出が、恩師との想い出や大切な人との繋がりなどの様々な感情と向き合いながらも正義のために戦った彼の想いを浮き彫りにしてくれます。
クライマックス、閉廷後にヨハナ(アレクサンドラ・マリア・ララ)と話すライネンが口にした「君は君だよ」という言葉が、彼女との復縁にも、真逆の決別の言葉にも聞こえてしまったのは、この事件での彼の気苦労を印象付けられたからかもしれません。ですが、せめて主人公周りの人たちぐらいは幸せになって欲しいとも思ってしまう。それぐらい、この映画で描かれたことは重く深い。胃もたれ寸前ですよ。