おかあさん
「おかあさん」というのはとてもじゃないけど不自由だ。それは「おかあさん」という名の強力な価値観が社会にあって。「おかあさん」という存在を知らない人なんていないからなのかも。
「おかあさん」は一つのモラルや、ルールに近いのかもしれないね。たとえば「お母さんが料理を作る」とかってガチガチのルールがあるみたいで。そこからはみ出した人は少し「出来損ないのおかあさん」みたいになる。モラルな世界。それはやっぱり「おとうさん」よりも強力で「おとうさん」にはない。
「おかあさん」は「おかあさん」であれ。
と言うのはまだまだ世に染み付いている無言の圧力なのかもしれない。誰かがそう言ったわけじゃない。けど確かにそう感じるんだ。それが良いとか、悪いとかではない。ただものすごく不便だし、不自由だし、時代が変わるにはとても時間がかかるものだなぁと。
というのも今日は親子バス旅行に参加したんだ。5歳の息子を連れての、保育園行事だった。そのバスには20組以上の親子が参加していて、私はかなり楽しむつもりで行ったのだが案の定、おそろしく気疲れしてしまった。
それはやっぱりそこかしこに「おかあさん」というルールがある気がして。はたまたそれぞれがもつ「おかあさん」のルールが違うような気がして。努力してある程度の正解を求めようとしたら、なにかすごく息子を傷つけてしまった瞬間があって、狂いそうになった。そこからうんとテンションは落ちて私の自由が減って「おかあさん」らしくして楽しんでいるフリをして、出来る限り穏便に過ごしたのが私だけど。心はすごく正直で、帰ってきたらどっと疲れてしまった。息子は「とても楽しかった」と言ってくれた。本当はそれだけでよかった。
「おかあさん」はまだまだこの世界にこびりついている。多くの人はそれでいいのかもしれない。けど私はそれが体にあんまり合っていないように思う。だれも「おかあさん」なんて言わない世界で、みんなが子供をあったかい目で見ていて、「〇〇ママ」なんて呼ばない世界で、母親も自由なルールでのびのび旅に出れたら、どんなに楽しいのだろうな。
まだまだこれから。まだまだ、これから。