電車に揺られて
辺りは真夜中のように暗かった。それは少し怖くなるほど静かで、恐ろしい生き物が眠っているみたいな時間。私はまだ誰も歩いていない道に足を踏み入れ、まだ誰も吸っていないだろうし吐いていないだろう空気に跡をつけるよう、白い息を吐きながら駅に向かった。車も人もない、赤信号も青信号も意味をなさない信号で止まり、だんだんと明るくなる景色に安心と新鮮を覚えた。駅に着くと階段を上がってホームまで急いだ。階段を上がったところの改札には朝帰りのギャルがキャハハギャハハ、大きく手を叩き下品に、そして楽しそうに笑っていた。とにかく笑い声は遠くまで鳴り響いていた。向かいの時刻表の前には部活動に励んでいるのであろう、どこかの学校の体操服を着た少女がふたり、大きなエナメルバッグを肩から下げて待ち合わせをしていた。日曜日だから、働きに出るような人はほとんどいなかった。老夫婦や、1人で寒さに震える薄着のお兄さんなんかがいた。私はというと駅のホームについて、氷のように冷たい椅子に腰掛け電車を待った。電車が来るであろう方向を見てみるとがらんとしていて、線路は懐かしく若い頃よあれやこれを甦らせた。あの頃はいつも先のことなんて考えていなくて、さっきのギャルみたいに楽しかったし、さっきの部活女子のように健気だった。自分の可能性を捨てたり、隠したり、なかったことにしようとはしてなかったと思う。青さという若さとは、自然な生き方なのだと思った。
それからスマホをいじっている間に電車が現れて私とパラパラ並んでいた乗客は吸い込まれるように乗りこむ。電車が動き始めると向かい側の窓にはちょうど朝日が滲み始めたのだった。濃い橙がじんわりと空を温め、力強く登っていく。その光景が見えた。たった一つの太陽に、街のすべてが照らされていく様子、小さな家や、ビルや、木々たちが陽の光で一面だけうっすら橙色にピカピカと照らされていく。その時間の流れはあまりにも美しく、自然の偉大さと自分という存在のちっぽけを両方感じた。その時ばかりは、今日という日に緊張することが無意味だとも思えた。
次第に太陽は色を変え、白っぽく変化しながら上がっていく。吊られてビルや木々や、車や住宅、花も土なんかも同じ色をして光っていった。まるでこの世界が目を覚ましていくように空はうっすらと水色になって、それから青を取り戻していった。
この世界には人間にコントロールできないことがある。それなのに人間はいつも地球を肌色だと思い込んでいるのだろう。私たちがそれを良しとしたり、気が付かないで悪気なく過ごし続けたらここはいつか人間に壊され、人間も壊れていく。そんなふうに思った。空の青さに気づけることは、本当は何かで成功することよりもよっぽど大切なんじゃないかな。