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できっこないをやらなくちゃ



私には5歳の息子がいる。
名前はレイ。

レイはこの1ヶ月間、毎日のように苛々していた。それに保育園から帰るとソファに座り込んで、クッションに埋もれるように何時間も過ごしていたのだった。いざ、ソファから起き上がりようやく動いたかと思えば、ほんの少しの躓き(つまずき)で、やたらにキレるようにもなっていた。彼には珍しく。とても余裕のない姿をしていたと思う。
そしてその理由を母は、知っていた。

「運動会」だ。

彼は運動がとても苦手であるが故に、保育園で繰り広げられる「運動会練習」に日々、撃沈していたのだった。毎日、かけっこでは最下位になり、大玉転がしでは自分のせいでチームが負けて。その場では押さえていたショックを帰ってきて、発散した。きっと彼は悔しさと手を繋ぎ、悲しさと抱き合って暮らしていたのだろう。その様子は昨日のエッセイに書いた。

そうして「嫌だ嫌だ」と言いながら、指折り数えた数日。ついに今日「運動会」を迎えたのだ。レイも私も、ドキドキしていた。


が、

蓋を開ければ、時は一瞬で過ぎた。
開会の合図により始まったプログラムで、子供達は圧巻のエネルギーを放っていった。一つ一つの光には、個性が澄み切っていて。レイを含め、そこにいるみんなが同じ黄色の体育帽子を被ってるとは思えない程、カラフルに見えた。ビビットな景色がそこにあったのだ。ここ1番の秋晴れ、鮮やかな青空に繊細な鱗雲を背景に。くすみのない彼らの瞳は、そこにいる大人達に生命力を与えてくれたと思う。私はそれをとても近い距離で、受け取るのに必死だった。目の前を駆け抜けていく彼らの真剣な眼差しを見て、その度に心がきゅっとなり涙を堪えたし、彼らにどうか届いてほしいと念を込めて、大きな拍手を送ったのだった。どうか、どうか。

やはりどんなに足が遅かろうと、踊りがバラバラであろうと、いじけたり、転んだり、負けてしまっても。そこにいる全員が、確かな一等賞なのだった。屈託のない子供たちの懸命さから教わるのは、「命」についての真意だったと思う。生きていて、健やかであること。そして、青空の下で走ることができること。それはもう完全な奇跡だったろう。宇宙からこの世に生まれた命は皆んな、それだけで十分に素晴らしいということ。泣いたり、転んだり、走ったり、負けたり、感動したりできることはすべて、神様への感謝と等しいものなのだろう。

そんな中、話は逸れるが。一番良かったシーンは、年長さんのお遊戯「できっこないをやらなくちゃ」だった。少しだけ、歌詞をお裾分けする。どうしてもこの1ヶ月間の息子を映し出してくれていたように思えた。今日の奇跡を教えてくれたようにしか思えなかった


どんなに打ちのめされたって、
悲しみに心をまかせちゃだめだよ

君は今、 逃げたい って言うけど
それが本音なのかい? 
僕にはそうは思えないよ

何も実らなかった なんて悲しい言葉だよ
心を少しでも不安にさせちゃダメさ
灯りをともそう 

諦めないでどんなことも
君なら出来るんだどんなことも
今世界に一つだけの、強い力をみたよ

君なら出来ないことだって、出来るんだ
本当さ ウソじゃないよ
今世界に一つだけの、強い力をみたよ
アイワナビーア 君の全て!




レイは最初から最後まで、私たち両親を見つけては、手を振って笑顔を返し、そこに私達がいることに安心していたようだった。かけっこは最下位だったけど、彼はとても明るかった。遊戯も、大玉転がしも、全力でやり遂げた。チームに貢献した。そして、閉会の合図と共に、子供達の奇跡は親元へ走って帰った。



レイは私の元に駆け寄ってくる時、大きく腕を広げ走ってきた。そして私に強くハグをした。私もグッと胸に引き寄せ、強く抱きしめた。
そして抱きしめたその瞬間、息子が少しだけ私の肩のあたりで涙ぐんだことがわかった。母も涙を堪えることに必死だった。母は小さな背中をトントンと叩き、ただただ伝わるように願って言った。「頑張ったね〜!頑張った。よく頑張った。」よく頑張った。

彼が今日、どんな思いであのスタートラインに立ったのか。どんな気持ちを持って帰ってきたのか。それは彼にしか分からない。ただ、私はレイの生命力が無限であると信じて疑わないと、強く思った。これからも、見守っていく。今日はそんなところです。(応援ありがとうございました。)

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