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「頑張る」と「頑張れない」




「頑張っていない人」や「結果の出ない人間」に対して、ものすごい風当たりが強いのが、日本の風潮のように思う。どんどん強い者がスペースを確保して、頑張っている人が輝いて、「デキル人」から幸せになっていくみたいなところ。東京なんかは、特に分かりやすい。あの狭さの中、ほんのちょっと隙あらば、購買意欲を突いてくる看板の嵐、特別価格!月末セール!今月の新作!目玉商品!限定グッズ!これを逃したら後はありません!なんて。切れ者たちは陣取って言う。

反対にぼーっとしている人間はどんどん居場所を失い「負け犬」となるような。なんだか逃げ腰で、カッコ悪いような。そんな自分を嫌いになってしまう。

そんなスペース争いならぬ、日本の「上昇気質」が時折、苦しく感じるのが私だった。「デキル人」じゃない自分は居場所がないような感じで足元が狭く、どこにいても気まずかった。自分がいつも、「自分はダメな奴なんじゃないか」って脳内を攻めてきて、いつも脳みそがいっぱいで、痛かった。何かしてないと、負けそうになった。暮らしているだけで後ろめたかった。周りが羨ましかった。それはきっと私だけじゃないだろう。今だって、苦しんでいたり「自分は苦しまないといけない」「なにか、頑張らないといけない」「好きなことを探さないと。」そう思って焦り戸惑う人がいるんじゃないかな。

わたしは、未来から目を背けて、下を向く夜があってもいいと思う。

ただ、自分を諦めないことも、同じくらいあったほうがいいと思う。

「わたしには、頑張れない」とは
言わなくていいと思う。


なぜかって、私にとっては「頑張れない」というその言葉が何よりもしんどかったんだ。どこか、私は「頑張れない人」として自分を諦め、決定してしまうのが怖かった。その時の感覚はよく覚えている。どこまでも闇が深く深く続いていくような虚しさで、開けない夜があった。その時に感じたのは、「頑張る」ことよりも「頑張れない」ことの方がよっぽど辛いんだなということだったんだ。
「頑張れない」は、つらいよ。




それから私は、足踏みでもいいから、ちっぽけな努力をやめないようにしたんだ。ゴールが見えないことで、足を動かしているのに、全然進んでいないと思い知る夜もあったけど。ただ、それでも。それでも足を動かすしか、自分を救う手立てがない。虚しさに変わりはないけど、やるしかなかった。

すると周りからの声は、目に見えて変わってきたんだ。「キミは不器用だけど、ちゃんと頑張ってる」「いつか花が開く」そう言われるようになった。

いつもダメで、ダサくて、カッコ悪くて、すぐ間違える。そんな私のことを諦めないで見てくれる人がいたんだ。それは暗い部屋に入って、ライトを手に掲げることのようだった。光はすでに、そこにあったものを照らしたんだろう。

希望は勝手に捨てちゃいけない。じぶんを諦めちゃいけない。ライトを持って進むんだ。
今あるものを大切に。今ある自分を信じて、進化して進む。その繰り返し。

必ず道は拓ける。




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