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カレーには、カボチャとキノコを入れてみた



9月10日(火)


息子のレイ(6歳)が、コンコンと咳混む音で起きた。だが彼は風邪ではない。紛れもなく「保育園に行きたくない病」なのだ。彼が「保育園に行きたくない」と、そう言い出したあの日からコンコンと鳴る咳が始まり今日まで続いている。運動嫌いの彼は、この時期になると決まって暗くなる。運動会に向けて先生や子供達が張り切る度、暗くなる。跳び箱が飛べない時間、自分にはできないことがあると知るのだろう。逆上がりができない度、自分にはできないことがあると知るのだろう。6歳になったら「歩けた」とか「立った」とかそう言うことではもう誰も褒めてくれない。そう言うことを知るのだろう。もう社会は始まっているんだね。まぁ、息子事情が分かっていても、親心としてはとても切なく思う。彼は「おはよう」を言う前に起きて一言目で「ぐすん。」と鼻を啜り、ポロポロ落ちる涙を見せた。あぁ、可哀想に。
だから近頃の私は寝起きの頭でぼぅっとしつつも心が重たくなって。やっぱり朝くらいはハッピーに始めてあげたいと、祈りでおかしくなる。胸が痛む。最近はそんな風に、明けない夜から1日が始まる。

そういえば私が幼い頃、万年不登校である兄の「まーちゃん」が同じ様子だったことを思い出した。何度も何度もため息をついたり、登園を渋って頭が痛いフリをしてみたり、お腹が痛いフリをしてみたり。今朝の息子は「なんか気持ち悪い気がする」と言った。その様子を見て、「これはまるでまーちゃんのあれだ」とあの頃とリンク。わたしは化粧や朝食をそっちのけで彼の隣、ソファに座り彼を膝に乗せて小さな背中をさすった。一緒にYouTubeを見た。小さな手をマッサージして「これで大丈夫よ。」とおまじないをかけた。彼はケロッと「はじめしゃちょー」を見て笑った。あの頃の母の苦労を、懐かしく振り返った。


あぁ、息子はまだ6歳。
まーちゃんは36歳。
年齢に関係なくいつだって未来は光に満ちている。私は何度もそう言い聞かせて日常に戻りあわてて出勤準備をした。


そうして登園時間ギリギリに送り出して仕事へ向かい、車内ではお気に入りのラジオをかけていつもの道を淡々と。ただ途中には工事中の交差点があって信号の光が消えていたんだ。「止まれ」も「進め」もない。それを見てやっぱり息子のことが頭をよぎった。何度も思うけど今はやっぱり、そういう時なんだよな。


夕飯はカレーにした。
息子も旦那さんもカレーが好きだからね。私は自分で作るカレーが全然好きじゃないけど。というか、カレーじゃなくてもあんまり自分で作ったご飯が好きじゃない。だっていつも変わらないんだもの。作者が変わらないから色が同じなんだ。タッチが同じ。飽きている。音楽とか、絵画とか、文学とか、そういうものと変わらない気がするよね。あぁ、そうやって変わらない環境には光が見えない時がある。少しでも光の射す方へ歩かなきゃいけないね。ということでカレーには、かぼちゃとキノコを入れてみた。光のはじまり。

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