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コロナ禍が始まる数ヶ月前から入院している患者が,まもなく最期を迎える. 彼女には近くに住む娘と,遠く関東に住む息子がいる. 娘は面会制限の規則を遵守しながら会いに来る一方で,息子は県外者の面会が禁じられてから数ヶ月間会えていない. まもなく最期を迎えるであろう一報を聞き,息子は会えないとわかっていても居ても立ってもいられず,当地へ来てしまった. 当地では,県境を越えて14日間は「汚物」のように穢れの対象となるのだが,禊の14日間が過ぎると,キレイな県内の人と認定される.
かなり前になるが,北穂小屋を建設した小山義治さんのドキュメンタリーを見ていたときのこと. 北穂に登りながら彼が「最近は小鳥の声が減った.本当に減った」と述べていたことが今でも頭に残っている.偉大な画家としても知られる彼の一言からは,この過酷な登山中も「小鳥の声」を聴く心と体の余裕があるのだと気付かされた. 職場ではいろいろな音が耳に入る.けたたましいアラームの音,スタッフや家族たちの話し声. 悪疫が来てからというもの,ある音が聞こえなくなったことに気づいた. 回診で病室
悪疫は,辺境にある当地にとっては遠雷のようである. しかし,当地でも相変わらず,面会制限が続いている. この地にこれからも住み続けざるを得ないスタッフは,上が決めたことに盲従するしかない.盲従するうちに,判断力を奪われ,何が正しいのか次第にわからなくなっていく. 現場では,看護師たちが,死にゆく患者に一目だけでも会いたいと縋ってくる家族たちを,門番のように追い返す役割を担わされている. 家族とともに最期のケアを紡いできた彼女たちにそのような苦役を強いるのはとんでもないこと
「まだ面会できないんですか?」 「身体の痛みだけでなく,精神的な苦痛も和らげていただけると思っていたのに残念です」 毎日のように詰られる. ホスピスのパンフレットを握りしめ皆,初診外来にやってくる. 「家族のケアも行います」 「付きそう家族が宿泊できる部屋があります」 「ボランティアによる行事の数々」 など,商業的な温かい写真とともに添えられた言葉たちが,パンフレットに虚ろに並んでいる. ここに書いてあるのは嘘なんですね,と呆れられることもある. 私も「騙してごめんな
ホスピスではゆったりとした時間が流れる中,自分は症状だけにしか目を向けなくなっていた. 痛み,呼吸困難,せん妄・・・ 朝昼のカンファレンスでも,私の口からは薬の話だけ.オピオイドの話,眠剤や抗精神病薬の話,鎮静の話. 「〇〇さん,自宅に帰りたいと行っています」 「そうですか・・・」(こんな時期に無理でしょう.そういえば家族の顔も思い浮かばないな) 「△△さん,ここに来てから全然良くならないって言っています」 「そうですか・・・」(△△さんの病状認識はどうだったっけ・
緩和ケアは市場原理渦巻く病院という組織とは相反するもので,このアイデンティを掲げて病院では生きてはいけないのだろう. 「私は,もう,この件であなたたちと話し合う気はありません」 当地に来て,2回,カンファレンスの場で私の口から出た言葉.一度目は長生きしている患者を,診療報酬上の理由でホスピスから退院させる施策に基づく話し合い.二度目は今回の面会禁止について. 現場のスタッフ間で「面会制限」に関して討議するのは,私にとっては醜悪であり,ホスピスケアを嬲り殺しているようにし