タイの市場で野菜と果物を買う日常、知るとは悩みを減らすこと|タイ語とわたし-1
タイ語とわたしシリーズ
市場でトマトとキャベツを買い、出回りだしたばかりのマンゴスチンに心躍らせ、家に着いた時には右手にタイ・ミルクティーを持っていた。
特別なことは何もない日常の一コマ。
そこには、世話焼きなおばちゃんも、ゆっくり優しくタイ語を聞いてくれるおじちゃんも登場しない。交わされる言葉は「いくらですか」「これで全部です」くらいだ。
少し寂しいけど、「日本人だと分かると喜んでくれた」「優しくしてもらった」「日本好きだと言われて盛り上がった」という話とはほとんど縁のない生活を送っている。
逆に、厳しいことを言われることが増え、、、ちょっと参ってた時期があった。
◆
ある日、タイ語ができない友達との間に入って通訳のようなことをする。それにも関わらず、「あなたの友達は本当にタイ語が上手ね。友達は、はい・いいえがタイ語で言えるなんて凄いのに、あなたのタイ語は何?初心者用の会話集を買った方がいい。努力不足だし勉強不足。友達を見習いなさい」と言われたり、ある時は通訳しつつ会話に加わっても、通訳部分以外の私の言葉は全て無視されたり。。。
タイ語が下手だから?発音が悪いから?それとも愛想がないから?コミュニケーション能力がなく不快にさせるから?と自分が嫌になり、いや逆に意外と発音が良くてタイ人っぽいから?肌が白くないから?顔が日本人っぽくないから?と、思いつく限りの理由を挙げる。
このままでは外に出るのが嫌になってしまう。
付き合いの長いタイ人の友達に相談した。
「は??普通買い物してて余計な会話しないでしょ。私日本に住んでるけど、余計な話ししないよ。何のために店で愛想よくしなきゃなの?
でも、そのおばさんはとても失礼。タイのおばさんアルアルだけどね。」
・・・・アルアル?
友達はこう続けた。
「できる人に厳しく言うことで、"悔しい"とか"自分はまだまだ"と思わせて、さらに努力をさせるために言うの。おばさんは。」
言葉の文化的背景を知ると、言葉の受け取り方が変わる。
ありがたく、「褒められている」ことにして言われたことを消化させた。
確かにホストファミリーの家に住んでいた留学時代、そんなこともあったな、と思い出した。あれは、「もっと頑張ってもらいたい!」というおばさんの想いが込められていたのか…。
言葉の向こう側を知らないと、正しく受け取ることができない。改めてその背景を知ること(=異文化理解)で悩みが減ると思い知った。
その後、”タイ語を話したくない” 気持ちはすっかり消えていた。
日常は相変わらず淡々としている。
その日常に心地良ささえ感じるようになった。
◆
市場で野菜と果物を買った後、タイ・ティーを買うため寄り道をする。
「タイ・ティーください。甘さ控えめで」
言葉は返ってこない。軽くうなずき作り始める。
(時々うなずくことさえなく作り始める笑)
「いくらですか?40バーツ?」と聞き、お金を払う。
なんでもない日常生活は続く。