タイ語検定の会場は、かつて何度も悔し泣きさせられた場所だった
まずは、タイ語検定を受けた皆さまお疲れ様でした。
タイ語検定、準2級の壁は高い。果てしなく高い。なんにもできなかった。
毎日がいっぱいいっぱいの今、なぜ受験?
タイ語検定の受験は2022年春以来。
その間妊娠・出産と経験し、慌ただしい日々を過ごしてきたし過ごしている。1日のほとんどが自分でコントロールできないタスクに埋もれ、勉強時間が確保できる頃には体がヘトヘトで集中力が続かない。
去年、産後数か月で受験しようとしていたのだが
ホルモンバランスは乱れに乱れ、慣れない育児と睡眠不足からか日本語を読むことすらできない、マミーブレインでタイ語の単語どころか日常のことすらすぐに忘れてしまう。そもそも1時間椅子に座っていられるかさえ、危うい。そんな状態だった。
無理は良くない。
そして、見送った受験がやってきた。
なんとなくの使命感とタイ語離れを防ぐため、そして母でも妻でもなく「私」でいられる時間を感じたくて無理を承知の上で願書を出した。
かつての留学先、シーナカリンウィロート大学
受験を促したものの1つに今回の会場があったかもしれない。
かつて留学生として過ごした、シーナカリンウィロート大学だったからだ。
タイ語検定当日、懐かしさからついつい撮影が進む。
(別角度だけど)同じ建物を撮影してみた。
少し話はそれるが、ここに留学していた半年間。毎日が悔しさでいっぱいだった。時には泣きながらタイ語の資料を読み、翌日の授業に備えた。
勉強してもしても分からない単語が出てくる。今ほど日本語↔タイ語のコンテンツが充実していなかったため、調べるも該当する日本語にたどり着けないことは日常茶飯事。授業について行けない。リスニングが追い付かない。
一生分の悔しさを味わったかもしれない。
でも、毎日が充実していた。学ぶ楽しさを謳歌していた。
今も当時の続きを歩んでいる
校内を歩きながら、かつての私と今の私を比べる。
あのがむしゃらに勉強していた私はいない。タイ語もあの頃程できない。
少し恥ずかしくなった。
と同時に、"10年間タイ語から離れていたのによく戻ってきたな" となぜか嬉しくなった。
タイに住みタイ語を勉強しない選択がある中
タイ語を勉強し、タイ語を話し、タイを知ろうとする姿勢は
間違いなくこの留学経験からきている。
今もまだ当時の続きを歩んでいる。あの頃と繋がっているような気がして1人でニヤけてしまった。1つも無駄なことなんてないじゃないか、と。
タイ語検定、悔しさを感じなかった
本題に戻ろう。肝心のタイ語検定は惨敗だった。こんなに悔しさを感じない試験は人生で初めてかもしれない。どんな問題が出たか何も覚えていない。
試験会場が自由席で、隣の人と腕が当たる距離で
受験票を置くスペースも予備の鉛筆を置くスペースもない
そんな試験当日の外的要素が影響しないほど、何も出来なかった。
人は1歳数か月の子を見ながら合格するかもしれない。
人は私を見て自分に甘いと言うかもしれない。
それでも「これが今の私」、と認めるしかないタイ語検定試験となった。