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振り返り

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ふと過去を振り返って書いたもの置き場。
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まだ1年半、だけどもう1年半。涙と笑顔で溢れた日々を振り返って。

人間歴1年半。 タイ生まれの我が子は少しずつこの世界に馴染みながら、あっという間にコップで水を飲み、家の中を走り回り、覚えたての言葉を元気に叫ぶようになった。なんて愛らしいんだろう。 タイでの出産、そして夫との二人三脚 日本での里帰り出産ではなく、タイで産むことを選択した。私の中で、夫と子を引き離したくない気持ちが大きかったからだ。 ただ、誰かが日本から応援に来てくれることはなく、親業初心者の2人でなんとかやらなければならない状況は予想以上に大変だった。なぜ、退院すると

4年前に撮ったバンコク・タラートノーイ。哀愁漂う「あの時」の空気感。

たまたま4年前の写真を眺めていた。 そしてたまたま流れてきた記事で #エモ1グランプリ という企画を知り、参加してみようと思い書き始めた。が、子どもが熱を出しバタバタしている間に締め切りが過ぎてしまった。(育児あるある、そろそろ慣れてきました) 撮影は2020年、コロナ禍真っ只中。私たちはベトナムからタイへ引っ越した。今となっては懐かしい2週間のホテル隔離を経て、家を決め、生活が落ち着いたタイミングで撮った写真たちだ。 現在のタラートノーイはタイ人の若者はもちろん、多くの

12月31日、病室から1年を振り返る

一瞬だった2023年。 そして、とうとう高熱で動けなくなり昨晩から入院しています。 丁寧な暮らしとか、自己投資とか、勉強とか、読書とか 考える余裕がないほど、とにかく目の前にある毎日を 眠たい目を擦りながらこなしてきたがする。 10月を過ぎて、少しだけ余裕が出て来たかな。 マミーブレインと呼ばれる産後のボケボケが少しずつ良くなって来たし 本当に少しだけど勉強も再開。読書もゆっくりペースで再開。 友達と思いっきり遊ぶ体力も回復して来たのもこの辺り。 ゆっくり友達とお茶し

去年のKYOTO|2年8ヵ月ぶりの日本帰国③

2年8か月ぶりの日本帰国。私たちは京都へ向かった。 夫の地元京都。一方私は久しぶりの帰国、完全に観光客状態だった。 KYOTO!とテンションが上がり鴨川沿いを散歩するだけで嬉しい。 先斗町ののれん街を歩き、鴨川を見ながら昼食をとる。おそらく地元の人がやらないであろうことに付き合わされる夫(笑) この時すでに妊娠中だったにも関わらず、本当によく歩きよく食べた。 どうしても泊まってみたかった町屋に宿泊し、朝・昼・夜と景色を楽しんだ。今年は観光客で大賑わいのようなので、あの

ワタシの人生を彩った場所、福岡へ|2年8ヵ月ぶりの日本帰国②

地元が福岡に近いとは言え、実際に福岡市内に住んでいたのはたったの2年。20代も後半に差し掛かった頃だった。 もちろん働いていたが、とにかく趣味に明け暮れた。 写真友達ができ、毎週末のように撮り歩いた。念願の歌のレッスンに通い、ギターを弾いて遊ぶ友達もできた。当時の友達とは今も繋がっている。 一軒のカフェとの出会い。全てはここから始まった気がする。 学生時代の友達が数人いる程度。平日は会社との往復だった私に "行きつけのカフェ" ができた。(この出会いがのちに、仕事終わり0

新鮮に映った地元、全てがフォトジェニック|2年8ヵ月ぶりの日本帰国①

去年の今頃、私は2年8か月ぶりに日本に帰国した。 たったの3年弱。それでも生まれ育った地元は新鮮味に溢れていて、あれもこれも撮りたい欲でいっぱいになった。 犬の散歩に出かけると、ちょうど稲刈りをしていた。舞う煙が沈みゆく太陽に照らされて幻想的に見えるが、それも日常の一コマ。それを見て、あぁ秋だなと心の中で思う。 この写真は数年前に撮った、稲刈り後のわら焼き。夕方になると煙が夕日に照らされる。(最近は規制で燃やせない地域が多いようですね。私の地元は禁止にはしてないようですが

爆竹の音、繋がる思い出、揃ってこそなんだな、と思った話を回想と共に

バンコクの片隅。家の裏で響き渡る爆竹音。「今年は1月22日だったような」とカレンダーで日付を確認する。今日は1月21日、春節前日の大晦日だ。 あまりにも自然に納得した自分に少し笑ってしまった。 かつては母が過ごした長崎での思い出話に「春節?中国のお正月?長崎では 爆竹を鳴らすの?ランタンって何?」と目を輝かせていた子供の私。 時は流れ、自分の中で "当たり前のイベント"  になった春節に、今まで見てきたもの(体験)は宝物なのかもしれない、とふと感じた。 マレーシアのCN

憧れ。ヴルタヴァ川を目にした瞬間、涙腺がゆるんだ。

行ったこともない国に憧れを抱くことがある。私の憧れは、チェコはプラハだった。 衝撃を受けた中学1年生。そして13年越しに夢を叶えた2014年。 あの日の感動は一生忘れないだろう。 中学1年生、ある一曲が私を変えた スメタナ作曲 連作交響詩「我が祖国」より モルダウ。 中学1年生だった私は音楽の授業で オーケストラ演奏と川の流れを組み合わせた教材を鑑賞した。 たったそれだけだ。たったそれだけなのに、12歳の私は衝撃を受けたのだ。 楽器だけでここまで川の流れを、チェコという

12月31日なので、ふんわり振り返る

タイは2時間差があるためまだ12月31日。(あと10分で年明け!) ということで2022年のnote+αを振り返ろうと思います。 Instagram TOP9 写真 まずは写真活動のメインの場、Instagram。今年もたくさん撮りました。 タイでの写真や2年ぶりの一時帰国で撮った写真。いまだに整理できていない写真で溢れています。タイで新しい写真友達ができ、新しいカメラを持ってお出かけする頻度が増えた1年でもありました。 note再スタートな2022年 一度作ったもの

マレーシアを知りたいと思った時、少し距離が縮まった気がした

夫がマレーシア出張に行った日、「マレーシア行きたいな」という言葉が自然に湧き上がって来た。 2017年~2019年にかけて、私はマレーシアの首都 K L (クアラルンプール)にいた。"人のため" (夫の仕事の都合) に引っ越したのは人生で初めてであり、積極的にマレーシアに興味を持つことに苦戦していた。 本来「住みやすさ」を感じるはずが英語が通じる。整備されている。道が綺麗。モラルがある。治安がいい。 本来住みやすさを感じるポイントなのに、どことなく物足りなさを感じていた。

"そういえば現地の大学でインドネシア語勉強していた"な話。

8か月ほど、インドネシアに住んだことがある。28歳、思わぬ形で「イスラム教圏に住んでみたい」夢が叶った8か月だった。 昨日きたメッセージ、思い出した日々 ー「元気?インドネシアにいたころ、インドネシア語を勉強するために大学に通ってたのよね?どうやって申請したの?」 インドネシア時代お世話になったカウンターパートからのメッセージだ。ほんの数秒前まで忘れていたけど…、確かにインドネシア大学のBIBA(外国人留学生向けインドネシア語コース)プライベートレッスンを2ヵ月間受講し