憧れ。ヴルタヴァ川を目にした瞬間、涙腺がゆるんだ。
行ったこともない国に憧れを抱くことがある。私の憧れは、チェコはプラハだった。
衝撃を受けた中学1年生。そして13年越しに夢を叶えた2014年。
あの日の感動は一生忘れないだろう。
中学1年生、ある一曲が私を変えた
スメタナ作曲 連作交響詩「我が祖国」より モルダウ。
中学1年生だった私は音楽の授業で
オーケストラ演奏と川の流れを組み合わせた教材を鑑賞した。
たったそれだけだ。たったそれだけなのに、12歳の私は衝撃を受けたのだ。
楽器だけでここまで川の流れを、チェコという国を表現できるのか・・・
先生の話してくれた時代背景も相まって、感情的になったのもあるかもしれない。
仕事を辞めた時、「今しかない」という衝動に駆られた
1人でアジアを飛び出した経験はない。
現地でヴルダヴァ川を見る以外にこだわりがない私は、迷うことなくフリープランのツアーを申し込んだ。そして旅行会社と数回のメールのやり取りでトルコ経由プラハ行きのチケット+ホテルを手に入れた。
療養中の薬が切れる前に行きたい。チケット手配から出発まで2週間足らずだった。
出発、そして ”ようやく“ 降り立った
成田からトルコまでの長いフライト。映画を見るわけでもなく、ただただスメタナ作曲の「我が祖国」、ドヴォルザークの「新世界」と「スラヴ舞曲」、そしてチェコに無関係なブラームスを聞いていた。
気が狂ったようにリピート再生を続ける。夢が叶うことに興奮していた。
長いフライトを終え、トルコに2泊したのち更に飛行機に乗る。(経由地のトルコも行ってみたかった国の1つ)
― プラハ国際空港に到着したのは夜だった。
空港からバスに乗り市街地へ移動する。
車内でカナダ在住のチェコ人夫妻に「一人でどこまで行くの?」と心配されながらも、私の熱い想いを語る。夢の街に来たんだと。
「見て。プラハ城だよ。」
バスに中から見えるプラハ城。その瞬間、涙が滲んだ。夢が叶った.…これは現実だ…
プラハの旧市街地を気ままに歩く至福の時
世が明け、朝食をとり石畳を歩いて川へ向かう。
手前に流れるヴルタヴァ川、カレル橋の先にはプラハ城。イヤホンから流れてくる繰り返し聞いた音楽。夢にまで見た景色。感無量だった。
誰かにとっては観光のワンシーンに過ぎない景色が、私にとって一は生忘れることのない瞬間で、8年経った今でもあの感動は鮮明に覚えている。
街はヨーロッパ中から、いや世界中から集まった観光客で溢れていた。
日が上ると共にそこら中で客引きが始まる。が、身長約145cm小柄なアジア人の私は子供に見えるらしく、誰も相手にしようとしない。おかげで気ままな街歩きができた。
プラハ城まで歩き、中を見学する。帰りにプラハ市民会館でのコンサートチケットを予約し、それまでホテルで休憩する。
ドレスコードのないいわば観光客向けのコンサートだが、会場は憧れのスメタナホール。1時間ほどの室内楽を楽しんだ。
日本でオーケストラのコンサートに行ったことない訳ではない。
しかしあまりにも日本のホールと様子が違う。美しい装飾、巨大なアーチ型の天井に輝くステンドグラス、上階のボックス席というものも初めて目の当たりにし「本当にプラハにいるんだ…」と改めて感じた。
写真データは消えたが、心に刻まれた旅だった
悲しいことにプラハ旅の写真は外付けハードディスクの損傷により、ほとんどが消えてしまった。今手元に残っているのは10数枚のデータとfacebookにアップロードした数枚。それでも8年も前の出来事を鮮明に覚えている。
無計画に街歩きをするにあたり、1つだけ決まりを作っていた。
「人間の排せつ物の臭い」「いけないオクスリの臭い」「人が少なすぎる」場所に入ってしまったら走ってその場を離れることだ。
川のほとりに建つスメタナ・ミュージアムに2時間以上入り浸ったこと。
プラハ城まで歩いて行ったこと。チェコフィルの本拠地を見に行ったこと。スメタナホールでコンサートを聞いたこと。マトリョーシカを買ったこと。
気ままに橋を渡り、川べに下り鳥を見たこと。
丘の上の公園に立ち寄り、そのままプラハのサッカーチーム ACスパルタ・プラハのホームスタジアム「ゼネラリアレーナ」を見に行ったこと。
マクドナルドで英語が通じなかったこと。
朝のミサを見に行ったこと。早朝カレル橋に行き、人通りの少なさに浮かれて写真を撮ったこと。(チェコの朝は遅いようだ)
タイマッサージ屋に行き、タイ語を話してと心が落ち着いたこと(笑)
フライトの日も時間ギリギリまで街を歩き回った。