🔶私の好きな奈良:日の沈む山に埋葬された悲運の大津皇子 鳥谷口古墳
タイトルの写真は何だかご存じでしょうか?
いかつい鉄格子の様な扉で閉められており、監獄か何かの様にも見えてしまいますが、実は二上山(にじょうさん)麓にある鳥谷口(とりたにぐち)古墳です。
歴史好きの人なら、イケメンヒーロー大津皇子が、非業の死を遂げたあと、二上山の頂に葬られたという話を聞かれたことがあるかも知れません。宮内庁により、大津の墓は山頂の二上山墓と治定されていますが、近年の調査で、この鳥谷口古墳が真の墓ではという説が有力になっています。
今回は、二上山と大津皇子について見ていきます。
大津皇子の出生、同胞
大津皇子は、天武天皇と大田皇女の間に生まれた子です。
大田皇女は、天武の兄の天智天皇と、蘇我氏系の遠智媛(おちのいらつめ)の間に生まれた娘で、後の持統天皇となる鸕野讃良(うののさらら)とは実の姉妹の関係になります。
天智天皇といえば、即位前は中大兄皇子として中臣鎌足と共に乙巳の変を敢行し、中央集権体制の基礎を築いた人ですが、多くの女性と子を設けており、娘達を政治的な意図をもって嫁がせていたとされます。
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奈良のいろいろなところを訪れた記録です。あまり馴染みのない人が読んでも魅力が伝わる様、わかりやすく紹介できればと思います。
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