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なぜ日本人はINFPが多いのか? INFPの存在意義とは?

みなさんお久しぶりです。きじるんです。
休学中の大学生INFP-Tです。仕事の関係で更新が遅くなりました😌

今回はINFPの存在意義、そして日本人にどうして多いのかということについて、私の持論書いていきたいと思います。今回の内容は一般には受け入れにくく、一側面でしか捉えられていない議論かもしれません。それでも、読んでくださる方がいれば嬉しく思います☺️


「記憶」の世界の中で生きたい

「記憶」の世界の中で生きたい。そんなことをふと思います。「記憶」とは過去の思い出という意味ではありません。日常を切り抜いた「一瞬」のことです。それは例えば、中学生が楽しく話しながら下校していたり、老夫婦が微笑みながら、仲良く桜を眺めていたり、真っ青な海がどこまでも続いていたり、そんな「素敵」と思えるような瞬間をたくさん心の中にしまって、それらを写真のように切り抜いた「記憶」の温かい世界の中でゆらゆらと生きていたい、そんなことを思います。

創造の理想主義者

こんな「記憶」の世界はINFPである自分が大切にしている理想世界です。ですが、現実世界は温かい世界ばかりではありません。厳しい現実もたくさんあります。INFPはそんな世の中から美しいものを抽出して、温かな世界観を創造しようとします。INFJが内向的直観を頼りに、現実を基点に理想を見出していく実践家であるのに対して、INFPは世の中から美しさだけを抽出してユートピアを描き出していく夢想家だと思っています。そんな世界観を「創造」することができる。それがINFPの為せることだと思っています。INFPは現代社会で求められているような実践家ではなく、現実にはないなにかを生み出す創造者であると考えています。

創造性をどう活かす!?

そんな世界観を創造することのできるINFPですが、現代社会ではそれを活かせる場はそう多くありません。小説を書いたり、芸術で花を開かせたり…。ライターやイラストレーターなど活かせる職種も増えてきましたが、INFPの創造性を直接活かせる職業は残念ながら、多くはありません。もちろん、どんな仕事であれ、創造性を活かせる部分はあると思います。しかし、現代社会を生きる中で、どうして実行能力である「Te」が低くて、自分の世界観に閉じこもる傾向の高い「Fi-Ne」の機能を持つINFPがこんなにもたくさんいるのだろうと疑問に思ってしまいます。

創造性は「信仰」の源泉  

どうしてINFPが現代社会で生きづらいのだろうかと考えた時に、INFPの存在意義は過去に基づいているのではないかと思いました。その過去とは日本が「信仰」に包まれていた時代です。日本はよく無宗教国家と言われますが、それは日本の一部分しか捉えていないと私は思います。コンビニの数よりも神社やお寺の数が多い日本は日常に八百万の神が融解していて、当たり前のように神様が浸透しているからこそ、表面的に無宗教に見えてしまうのだと思っています。江戸時代まではどの地域にも地域の神社やお寺があり、年中行事を通して、「信仰」が集落を包んでいました。そんな時代は資本主義経済の価値観が浸透していく中で徐々に崩れていきます。しかし、日本文化の本質は八百万の神の信仰や「侘び寂び」の価値観にあると思います。そんな八百万の神の信仰は古代まで遡ります。この「信仰」は創造性の賜物です。動物や森、川、海に精霊が潜んでいる、そんなどこにでも神様が宿っているという信仰は創造力があるからこそできることです。このような自然信仰がある時代にINFPは大きな活躍をしたのではないかと思っています。

信仰の原点:縄文時代に遡る

日本の歴史の大きな特徴の1つは新石器時代に入り、定住生活を始めたのにも関わらず、狩猟採集の生業を営んでいた縄文時代が少なくとも1万年以上も続いていたということです。人類は農耕を始めたことによって、自然をコントロールするようになりましたが、それより前の狩猟採集生活では他の動物と変わらない狩りや採集が主な食料の確保手段でした。他の動物と変わらない生き方をしていたので、人類と他の動物や植物の地位も変わらない。全てが平等な地位にあり、人類も自然のサイクルの中に組み込まれた、循環社会が成り立っていました。森羅万象が平等の地位にあるために、「全てに精霊が宿っている」という八百万の信仰へとつながります。そういったアニミズムの信仰が定住社会のかたちを取りながら、少なくとも1万年以上もの長い年月の中で成熟されていきました。その成熟した狩猟採集民の八百万の神の信仰が土台となって、のちの神道の誕生、仏教の導入、修験道の興隆が起こっていったのだと考えています。INFPは、一見、フィクションで実用性のないように思えるけれど、自然と人類の調和を生み出し、集落のまとまりをつくっていた原始的な「信仰」の誕生に一躍買っていたのではないかと考えています。

日本人にINFPが多い理由

日本人はそんな狩猟採集の定住社会を長い歴史の中で成熟させてきた特異な民族です。もちろん、そこから様々な民族の流入がありましたが、縄文時代の長い歴史の中で育まれてきたDNAは現代を生きる私たちにも刻み込まれています。森羅万象が平等の地位にあり、全てがつながった循環的世界観の中で育まれてきた精霊信仰というのは、現代に生きるINFPが願う「全てが幸せであってほしい」という夢想的な理想世界にも通ずるところがあるのではないでしょうか。縄文時代の文化が土台となり、やがて「和」の文化が花を咲かせていったと考えると、その「和」の心を受け継いできたINFPが「日本人らしい性格」と言われ、実際の人数も多いということに納得もいくのではないでしょうか。

現代に生きるINFP

「和」の文化が資本主義経済の価値観の浸透により崩れていき、「合理化」が重要視されるようになった現代。そのような現代社会ではやはり、INFPは「実践向き」な性格タイプではないと思います。ですが、日本の古き価値観を受け継ぎながら現代を生きるINFPは現代社会では見過ごされてしまった「大切なもの」に気づいたり、それらを何らかのかたちで表現したりしていくという存在意義があるのではないかと思っています。そこまで至らなくとも、INFPが発信する世界観や思いは世の中に何かしらの影響を与えるはずです。そのような大事な役割を担っているのに、INFPの性格タイプを悲観するのはもったいないと思っています。

今回は日本の過去を古く遡りながら、INFPの存在意義と日本人にはなぜINFPが多いのかということを考察してきました。ほとんどが持論で、一般的には受け入れられにくい議論かもしれません。それでも、読んで面白いと思ってくださる方が一人でもいたらいいなと思って書かせていただきました。ここまで長い文章をもし読んでくださる方がいらっしゃいましたら、心から嬉しいですし、感謝いたします☺️✨

みなさんとまたお会いできる時を楽しみにしています!またね!🥳

今日の一枚

どこまでも続いていく大地を踏みしめながら、
右往左往、ゆらゆらと「旅」をする。
それが私の人生。
明日はどんな景色に出会えるだろうか。





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