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詠むための一首評の練習(10)- 灯の下に消しゴムのかすを集めつつ冬の雷短きを聞く/河野裕子
河野裕子/灯の下に消しゴムのかすを集めつつ冬の雷短きを聞く
河野裕子 第十二歌集『庭』(2004年・砂子屋書房)
作者が歌を作っているときの光景であろう。「消しゴムのかす」を集めるぐらい推敲したのだろうか。若いころからパソコンを使ってきた私にはもう30年以上「消しゴムのかす」は縁遠いものになってしまったが、私よりも少し年上の作者は、まだ当時鉛筆で書いていたのかもしれない。この歌は一読して作者の生活を勝手に想像してしまえるような実感がある。それは作者の歌人が初心者の私でも知っている著名な歌人であるからかもしれない。リビングの机で家事などを片付けた後、作歌にいそしむ作者が見える。もちろん立派な書斎で書いていたのかもしれないが。歌の内容は明確でひたすら光景がクリアに想像されるのだ。これはなぜだろう。灯の下、消しゴム、という日常的で距離の近い光景に、遠くの雷を聞く、という対比がそのようにさせるのか。何でもない景色を書いてこのように思わせる歌が書ければよいなと思う。
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「日々のクオリア」の評者の言葉を引けば他に何もいらない気がする。『河野裕子の歌というのは河野裕子に「河野裕子」というものが被さっているというか、〈わたし〉によって〈わたし〉を抱擁するようなところ』『河野裕子の歌には、言葉を他者に受け渡す意識が明確にあるのだと思う』『私がこの歌をとても愛するのは、ここには河野裕子の人としての物書きとしての自分に対する信頼のようなものが感じられるからだ。誰に与えるでもない自分に対する信頼が、物を書く机に静かに座っている。』評者は花山周子氏である。
(練習の題材として過去に砂子屋書房のWEBサイトに掲載されている「日々のクオリア」で取り上げている短歌を使わせていただいた。日々のクオリア自体が一首評の記事だが書く前には読まぬようにしている。誰がどんな歌を詠んでいるのか、初学者にとって歌集を買うのに大変に参考になる記事である)