ジャーナリングの効果その3(執着の話)
こんにちは、MANAです。
ジャーナリングの効果についてのお話も第3弾。
今回は執着の話です。
人生のほとんどの悩みは人間関係と言われるほど、この問題はとても大きなものだと思います。
むしろこの問題がクリアできたら、めちゃくちゃ生きるのが楽になるよなーとも思うのでこれは光が差してる感じがしますよね。
人間関係の問題っておおよそこれが問題なのでは???って思ってる(MANA調べ)
課題の分類が出来ていない
わたしの思う課題の分離っていうのは、自分の影響の範囲を超えたところまでコントロールしようとすることかな。
・相手の反応に過度に影響される 相手が何を考えているか、どう感じている かに過剰に関心を持ち、それが自分の行動や感情に大きく影響する場合。たとえば、相手が怒っていると自分も不安になり、何とかして相手を機嫌よくさせようとする行動がこれに当たりますよね。本来、相手の感情は相手自身の課題であり、すべて自分がコントロールできるものではないってこと。
自分の期待を相手に押し付ける 相手に対して「こうすべき」「こうあってほしい」と思い、その期待に相手が応えないと怒ったり失望したりすることも、課題の分離ができていない状態だと思います。自分の期待に応えるかどうかは相手の選択であり、強制することはできないです。
相手の問題を自分の問題と捉える 相手が直面している問題や困難に対して、過剰に介入し、自分が解決しなければならないと感じることも、課題の分離ができていない例えかなと思います。相手には相手自身で解決すべき課題があり、それをすべて自分が負う必要はありません。たまに自分が解決してあげなきゃ!っていう人いるよね。疲れるだろうなーって思って見てるけど。
それで今日のタイトル『執着』の話なんだけど、この課題の分離の中に入るものの一つだと思うのね。
例えば、自分の感情に執着すると、怒りや悲しみ、満たされない思いに振り回されやすくなるし、相手に執着すると、相手の行動や反応が自分の期待通りでないと不満を感じる。これを自分の中だけで消化できればいいんだけど、これが出来ないと相手に機嫌を取って貰おうとしたり八つ当たりしたりするわけよね。
この課題の分離。そして執着してしまう気持ちを手放す、自分の影響の輪の外のことは相手の問題として見守るってことに徹すれば大きな人間関係の悩みって起きないと思うんだよね。否応なく巻き込まれることはあるけども。
ジャーナリングがなぜこの問題に影響を及ぼすかといえば、
ジャーナリングは頭の中にある曖昧な感情や思考を言葉にして外に出すプロセス。モヤモヤとした気持ちをそのままにせず、全て書き出すので感情的に反応する前に一歩引いて、何が自分の課題で、何が相手の課題かを明確に分けやすくなります。自分を前から眺めているような感じですかね。
自分がどんなことに執着しているのかや、何をコントロールしようとしているのかが明確になります。これは自分で解決できる問題か、相手が自分で解決すべき問題か。ここがハッキリすると無駄に悩まなくなるので、心の余裕が生まれます。
ジャーナリングは、問題を多角的に見る手助けをしてくれます。書き出していると、当初は「相手が悪い」と感じていたことでも、後から振り返ると自分の感情に根ざしていたことに気づくことがあります。これにより、視点を広げて、自分と相手の役割や責任を冷静に分析できるようになります。
それに気づいた時はこれが私の心を揺さぶっていたことの正体か、と気づくことができるので、日々の記録を通じて自己認識が深まり、自分がコントロールできることに集中しやすくなるため、自然と健全な人間関係を築けるようになります。
もし人間関係にずっと悩まされてきた。上手くいかないと感じているなら、ぜひやって見てほしいです。
きっとこの先も自分を助けてくれる武器になると思います。
今日はここまで、読んでくれてありがとう。
また次の記事でお会いしましょう!