食料問題は、意識だけでは解決しないが、意識することからしか始まらない
コロナ禍で飢餓と食料不安が高まっている。
2020年には世界で7.2億人から8.1億人が飢餓に直面しており、前年から1.6億人も増えている。
地域別に見ると、世界の栄養不足の半分以上がアジアに、3分の1以上がアフリカに分布している。
こう言ってしまうと、食料問題はアジアやアフリカの発展途上国の問題へと矮小化されるが、それは間違いだ。
食料問題は日本の問題
食品ロス問題ジャーナリストの井出留美は、次のように指摘する。
日本においても食料を捨てられる裕福な人びとがいる一方で、必要な食料にありつけない経済的困窮者が存在しているのである。
2018年時点の日本の相対的貧困率は15.4%だ(阿部彩「相対的貧困率の動向:2019国民生活基礎調査を用いて」より)。つまり、7人に1人は相対的に貧困状態に陥っていると言うことになる。
相対的貧困率とは、世帯可処分所得を世帯人数で調整した値の中央値の50%(等価可処分所得)を貧困線として、これを下回る世帯可処分所得の世帯に属する人の割合を指す。
OECDの基準によると、相対的貧困の等価可処分所得は122万円以下、4人世帯で約250万円以下(2015年時点)とされている。
仮に4人世帯で可処分所得が240万円だとすれば、ひと月20万円で暮らさないといけない。どれだけ満足のいく生活が送れるだろうか?そういう水準の人が、日本にも1,800万人ほどいるというのが現実なのだ。
安田夏菜の児童文学『みんなはアイスをなめている』では、シングルマザーの家庭でヤングケアラーとして奮闘する少年が、平和学習で聞いた戦争体験者の戦時下のひもじい食生活と、自身の貧しい現代の食生活を重ね合わせるシーンが描かれている。
貧困は遠くの知らない国の話ではない。日本を含めたぼくらの話なのだ。その前提で食料問題は把握されなければならない。
食料問題の解決策
以下、食品ロスを出す側の課題として食料問題を考えていきたい。
どうすれば食品ロスを減らすこと、無くすことができるか?
この問いに対して、井出はコロナ禍で食品ロスが減った世界各地の事実を踏まえ、次のように答えている。
平たく言えば、食べ物を大事にするということを肝に銘じ、日頃の行動に反映させるということだろう。
具体的には、どのような行動をとるとよいのか?
ぼく自身がきちんと理解できていなかったことを一つだけ紹介しておきたい。
賞味期限を理解する
食品の期限表示には、「消費期限」と「賞味期限」がある。
消費期限は食べられる期限を指し、日持ちが概ね5日以内の傷みやすい食品に表示される。
一方、賞味期限はおいしさの目安を示したものであり、表示の保存方法で保存していた場合、品質が変わらずにおいしく食べられる期間を意味している。
つまり、賞味期限を過ぎたからといって、それは消費できる期間を過ぎたということを意味はしないのである。
多くの食べ物は、実際の賞味期限よりもさらに短く設定されることも多いため、賞味期限が到来していたとしても五感で食べられると判断できれば、食べるようにしたい。
具体的な実践をもっと知りたいという方は、以下を参照されたい。
井出留美『あるものでまかなう生活』(日経BP、2020年)
井出留美『食料危機 パンデミック、バッタ、食品ロス』(PHP新書、2021年)
さいごに
食料問題はマクロではシステムの問題であり、政治の問題だ。
大量生産・大量消費・大量廃棄という経済的には合理的なシステムが、捨てるほど食べ物が「ある」人と十分な栄養が取れないほどに食べ物が「ない」人との格差を生み出す。
このシステムを変えるのは、政治の仕事である。
だから国や行政が、食料問題をぼくら一人ひとりの意識の問題へと矮小化していくような動きについては眉唾で見聞しておくことが賢明だ。
そのことを強調した上で、とはいえ、ぼくたち一人ひとりの意識の変革なくして食料問題の解決はあり得ないことを強調したい。
誰かに「こうすべき」と押し付けるのではなく、気づいた人から行動し、発信する。それが次の人の気づきのきっかけになるかもしれない。
国や行政の啓発や他人が言うことに免罪符を求めるのではなく、自分で考え、行動すること。時間のかかるこの地道な作業を続けていきたい。