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#151 本屋での思い出 前編

自分を自分らしくしてくれるものとして、僕は本と音楽を挙げた。
そのどちらも取り扱う図書館に毎日勤めているので、自分らしく働けるのは必然かと最近は思えている。

とはいえ、図書館にいるのは仕事が理由。
ときにはタスクが積み重なってしまい、自分らしく本と接することが難しい瞬間だってたくさんある。
なんならそんな時間の方が少ないかもしれない。

そう考えるとプライベートで本屋に立ち寄るときの方が、自分らしくいられているのかもしれない。
思えば、僕は小さな頃から本屋が大好きだった。

7歳の冬

思い出せる範囲で、僕が本屋に行った最初の記憶は小学一年生の頃。
その当時はポケモンが一世風靡していた時代。
学校に行っても、家で遊んでいても話題はポケモンだった。

以前の記事にも書いたが、当時はインターネットがなかったので、ポケモンの最新情報を知る最大の情報源は、コロコロコミックだった。
――というのを、小学一年生の頃に友達に教えてもらったのだ。

当時は家から歩いて5分のところに本屋があった。
確か「よむよむ」という名前の本屋だったと思う。
季節は冬。新年が明けた頃だった。
祖父母からもらったお年玉で買ったコロコロコミックが、僕の人生初の本屋体験である。

確か最初に買ったコロコロコミックが上記の号だった気がする。

「よむよむ」での思い出はたくさんある。
コロコロに掲載されていた漫画の単行本を買うのも「よむよむ」だったし、友達との待ち合わせにも幾度か使った記憶がある。
小学生同士で本屋で立ち寄ったことも何度かあった。
そのときは、なぜか少しだけ大人になれたような気がした。

けれど、僕は中学受験を志望していたこともあり、学年が上がるごとに「よむよむ」へ行く回数も少なくなっていった。
中学に上がるくらいの頃に張り出されていた閉店のお知らせの紙を見たのも、冷たい風が吹きすさぶ冬だった気がする。
距離が離れてしまっていたのに、猛烈な寂しさを覚えたことを今でも心に刻まれている。

14歳の春

私立中学に通い始めた僕は、とにかくしんどい毎日を送っていた。
今思えば、あのときも適応障害になりかけていた気がする。
入学当初はなかなか環境に慣れることができず、家で泣いてばかりいた。
勉強も格段に難しくなり、それまで「勉強ができる」と思っていた自己肯定感が一気に崩されていた。

そんな中学校生活の憩いだったのも本屋だった。
とある駅の乗り換えで商店街を歩く必要があったのだが、その中に古びた本屋があったのである。

だが毎日通っているのに、中学一年生の頃は立ち寄ったことがなかった。
校則で寄り道が禁止されていたから、くそ真面目にそのルールを守っていたからである。
ただ、店の前に置かれた本・漫画・雑誌。
これらを眺めているだけでも、僕にとっては小さな幸せだったのだ。

しかし、だんだんあらゆるものへ反抗したいという気持ちが滲み出てくる。
携帯電話を持ってきたり、ゲームを持ってきたり、皆それぞれに校則を破っていく中、僕の最初の校則破りは本屋への寄り道だった。
今思えばずいぶんかわいいルール違反だなと思う。

今でもよく覚えている。
初めての校則違反にドキドキしながらも、僕が手に取ったのは「鋼の錬金術師」の10巻だった。

表紙に描かれている主人公エドワード・エルリックにとてつもなく惹かれた記憶が、今でもまざまざと残っている。
その絵にひきこまれ、思わず購入。
僕は二つ目の校則違反を犯したのだった。

ちなみにそのとき、まだハガレンを読んだこともなかった。
なので、後日1巻から順番に買い揃えていくというトリッキーな集め方をしたのはここだけの話だ。

それからすぐに中学三年生に上がり、その年の夏には「閉店のお知らせ」の紙が貼られてあった。
その本屋に限らず、子どもの頃に両親と立ち寄った本屋が少しずつ減っていっているのに、中学生の僕は気づいていた。

思春期における本屋の思い出は、楽しさとスリルと、寂しさで満ちていた。

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こんにちは、立竹落花です。
他のnoterの方々の影響で、僕も本屋をテーマにした記事を書きたいと思い、踏み切りました。
が、どうしてもとてつもない分量になりそうだったので、前後編に分けてお送りしたいと思います。

ううん、前後編に収まるかなぁ……。

後編もよろしくお願い致します。



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立竹落花
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