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#93 書き続けられることは有難い

今日でnoteを始めてちょうど3か月となった。
2024年6月11日から今日まで、1日も欠かさず記事を更新してきた。

93日間、毎日その日にテーマを考えて、2000字前後の記事を書く。
我ながらよくやってきてんなと、こればかりは自分を褒めたい。

世の中、実行するのが難しい事柄はたくさんある。
その中でも「継続すること」って相当難しいのではないかと思うのである。

馴化と心的飽和

なぜ続けることが難しくなってしまうのか。
その理由は、単純明快。

飽きるからである。

飽きることというのは、心理学でも説明できる現象だ。
心理学的に言うと、馴化心的飽和がそれである。

馴化
生活体は、何らかの刺激が与えられると注意が喚起され、顔をそちらに向けるなどの反応を起こす。
これらの刺激を、強化を伴わない状態で繰り返し呈示すると、刺激に対する反応は相対的に減少してゆく。このような一連の過程のこと。

心理学辞典(有斐閣)より

心的飽和
同一の作業を長く反復することによって、これを続ける意志がなくなり作業を放棄する現象。

心理学辞典(有斐閣)より

心的飽和だけでも飽きを説明することはできるが、その前に馴化という現象も起きていると思う。
馴化というのは、言い換えれば「慣れ」のこと。

noteの活動で例えてみる。
最初はnoteに記事を書くだけでも刺激になるからやる気に満ちている。
が、それを繰り返しやっていると記事を書くことに慣れていき(馴化し)心的飽和を起こしていく(飽きていく)。
一方、途中でスキやコメントをもらうと、それがまた刺激になるので、続けるモチベーションに繋がっていく(ちなみにこれは脱馴化と言う)。

けれど、悲しいことにスキやコメントに対しても馴化してしまうときも来てしまうかもしれない。
何らかの刺激がない限り、人は馴化して、心的飽和を起こしてしまう生き物なのである。

心理学的に考えても、継続がいかに難しいことであるのかがわかる。

3か月続けられた理由

これも単純明快。
読者の皆様がスキやコメントをして下さっているからに他ならない。
スキやコメントをいただいているおかげで、僕は書きたい、伝えたいと思えているのである。

皆様には本当に本当に感謝しかないです。ありがとうございます。

心理学的に言えば、僕は記事を書くことにはさすがに馴化している。
一方でスキやコメントが刺激(心理学的に言えば報酬)となっているおかげで、心的飽和を起こしていないと言える。
スキやコメントに慣れることを言いかえれば、当たり前だと思うことなのだと思う。

人から何かもらうことを当たり前だと思う人間にはなりたくない。
noteにおいてもそれは強く思う。
以前にも書いたが、僕は一度note活動に挫折しているからだ。

挫折したから、有難いと思える

上記の記事で書いたように、「毎日絶対投稿」だとかフォロワーやスキの数に囚われすぎて、続ける意欲を失くしてしまったのである。
馴化や心的飽和以外の理由でも、続けられなくなってしまうことがありうるのである。
だからこそ、本当に続けることって難しいのである。

僕にとってnoteを続けられなかったことは一つの挫折経験だった。

正直、僕は自分を書く能力以外は軒並み出来の悪い人間だと思っている。
さりとて、書く能力が抜群に高いわけでもないのだけど、少なくとも「書くこと」自体をこよなく愛してはいる。
それなのに、「書くこと」を続けられなかったのだから……。

だから、日々スキやコメントをいただけることを当たり前だと思わない。
いや、思えない。思えるわけがない。

そして何より書き続けられることを当たり前だと思わない。
いつ何時、書けなくなるときが来るかわからないのだから。

当たり前ではないからこそ、有難いのである。

読んで下さっている皆様に感謝。
スキやコメントをいつもして下さっている皆様に感謝。
そして、素晴らしい出会いと書く場所を与えてくれたnoteに感謝。

これからも素敵な時間をご一緒に。



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