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会いたい触れたい鍼灸マッサージ師が今探していること

鍼灸マッサージは、生活に必要な「医療機関」として、休業要請の対象にはなっていない。それでも、いろいろなリスクもあって、いろいろな選択もある。

私は、自転車エリアだけ・感染防止策に協力いただけるところにだけ出張施術を続けることにした。こうなって、減るところは減り、逆に増えるところもあり、お身体がつらくてお声のかかるところもある。新規の呼びかけは止めている。

出張専門開業で、ハコを持たず、固定費がかかっていないので、この状況下でも今のところほそぼそとやっていけている。

だから今、生き残りのためというより、できることが限られるのがさみしい、会えないのが触れられないのがさみしい、という一種のエゴに動かされている。

会えなくて触れられなくて何ができる?
私にできることで今誰かの役に立てるかもしれないことって何がある?
突き動かされて、急激に、探している。試している。

オンラインのセルフケア相談と、オンラインのお灸レッスン

2月から試行錯誤して、3月からモニターセッションを重ねて、そうして今週からようやく公開した。

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これまで、対面で、お身体を診て、お身体に触れることが自明で、そうでない選択肢など思いつかず、そうしてきたこと。だけれども、やむにやまれず試してみると、意外にも、直に会わなくても、できることがある。

人と人が会わなくても行える可能性がある診察や診断と、人が介在しないとできない治療行為は別であると考える必要があるのかもしれません。
さらに突き詰めれば、セルフケアを念頭に置けば治療行為ですらも直接人を介在しなくても行える可能性があるとするなら、
治療院でしか行えないこと、言い換えれば人と人が会うことでしか得られない顧客感動体験をどのように高めていくのかが鍼灸院の生き残りには重要になってくる


そうなのだ。

走り出してみてからわかることだけれど、
触れられない、という状況になって初めて分けてみたことだけれど、
これまで施術でやっていたこと:

1. 診ること
  1-a. 触れずにできること:聴くこと、在りようを観ること、動きを観ること
  1-b. 触れないとできないこと:徒手検査、筋の硬さ、微細な動きなど
2.治療すること
  2-a. 触れずにできること:セルフケア
  2-b. 触れないとできないこと:刺鍼、マッサージ

こんなふうに分けられるのだ。
これまではこれらを渾然一体となってやっていたのだった。

研究の現場で長く勤めてから転職。鍼灸師としては遅い出発で、この道一筋ん十年という人たちには追いつかない。そんな劣等感でいっぱいだったのだけれど、1-a. 2-a. のフィールドで、そんな私だからできることがたくさんあった。

オンラインで治療はできないよね、と思って、思いつきのようにオンラインセルフケア相談、としたのだけれど、これまでの回り道で、2-a.セルフケアとしてお伝えできる数多の引き出しがあった。自分でも気がついていなかった。エクササイズ、呼吸、瞑想、自分で自分に触れること、自分で自分にお灸すること、などなど。1-a. のフィールドでも、アドラー心理学、NLP、瞑想セラピー、学生さんたちに接する仕事、それらが鍛えてくれた聴く経験もあった。言外に伝わるものを捉えることも、しているのだった。

オンラインでできること、今、一所懸命やってみる。
探してみて、試してみる。
会えなくて、触れられないけれど。
そうしていたら、「人と人が会うことでしか得られない」ということがもっと、際だってくる感触がある。

渇望、かもしれない。

そうしていつか、こんどは、「人と人が会うことでしか得られない」ことで、私にできることで誰かの役に立てるかもしれないことって何がある? って探して、試して、もっと際だったそれを、できたら手で触れて、私のしごとを届けていきたい。


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