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【映画評】『哀れなるものたち』が受け継ぐ『フランケンシュタイン』の夢
Poor Things
イギリス/アメリカ/アイルランド,2023
監督:ヨルゴス・ランティモス
まえがき
あのぅもしかして、ヨルゴス・ランティモスさん、死ぬの?
…って思っちゃうほど、まるで遺作級に気合の迸る映画だった。
彼がこれまで追求してきた歪な世界観と、大衆性・芸術性・批評性がまたとない調和でスパーク。そして、これはもしかしてヨルゴっさん流『バービー』かもしれない。
1.あわれむものたち
孤独に医学の探究を続ける男・ゴドウィン(ウィレム・デフォー)が、遺体から蘇らせた女性・ベラ(エマ・ストーン)。初めは赤ん坊同然だった彼女は徐々に自我を持ちはじめ、世界をその目で見たいという憧れを抱き始める…
マッドサイエンティストが遺体から造り出した人工生命といえば、その源泉のひとつはメアリー・シェリーが19世紀前半に著した『フランケンシュタイン』に遡る。
今作は、同小説からの影響を強く感じさせる…いや、もっと正確に言うならば、200年越しの現代版アンサーとも言えるような作品だと思う。
まず、直接的に目がつく類似点は多い。ベラが覚醒する際に電流が使われるのはまさに直系の演出だし、彼女の生みの親ゴドウィンは小説の著者シェリーの実父の名前でもある。(※1)
それに、『フランケンシュタイン』はゴシックホラー小説であると同時にスイス、ドイツ、英国といったヨーロッパ旅行記的な側面も持っており(シェリーの実体験に基づく)、これはベラが辿るリスボン、アレクサンドリア…という旅を想起させるものだ。
さて、『フランケンシュタイン』を読んだ者は、きっと多くが件の人工生命(物語上で名前はなく、単に「怪物」とされる)に対して恐怖や憎しみよりも共感と憐れみを抱くことだろう。
知的好奇心に呑まれた男ヴィクター・フランケンシュタインの手で生を受けた「怪物」は、生まれてすぐに見捨てられ、愛情や文学を理解する高度な知能を持ちながらそれを誰にも認められず、絶望し、ヴィクターとの追跡劇を繰り広げた挙句、最後には《孤独》こそが何よりの苦しみであると語った…
(前略)だがそんな神と人間の敵にも友はいて、寂しさを慰めてくれるだろう。しかし、おれは一人なのだ。
この映画では、そんな「怪物」が運命的に抱えていた生きづらさが、近現代の女性史に変換して重ねられている。ベラの成長はそのまま社会の中での女性の歩みであるといえて、人としての尊厳を獲得し、人生を自ら選択できるようになるまでの物語なのだ。
『フランケンシュタイン』の「怪物」は、創造主ヴィクターに復讐することを選び、傷つけあって、自らも死だけを救いと考えるに至った。では、今作のベラはどうだろう?
彼女が肉体も精神も、楽も苦も全力で謳歌する長い旅を経たのち、自らの出自の秘密と創造主ゴドウィンの罪を知った後に行った選択、そしてラストシーンの(ヨルゴス流超悪趣味が炸裂しつつだが)穏やかさは、かつて報われぬ孤独の氷河に沈んだ「怪物」への鎮魂のようであり、未来への希望すら描いているものだ。
2.受け継ぐものたち
ここで、もうひとつ重要と思われるキーワードを掲示したい。
それは《継承》である。
このことを象徴するモチーフとして、劇中には繰り返し=円環のイメージやオブジェクトが頻出する。
魚眼レンズやピンスポットを多用した円形のカメラワーク、円い食器や窓の数々。好き勝手に連想するならば、円は卵子であり、陰核であり、世界(地球)であり、入り口も出口もない完全な形だ。ベラもまた母と娘が同居する完結した存在といえるし(ちょっぴりネタバレかもごめんなさい)、ゴドウィンのあだ名GODとDOGの回文的な性質、等々。
しかし、完全な形とはつまり「囚われている」ともいえる。これはベラ=女性を取り巻く閉鎖的な環境そのもので、それを生み出すのはやはり男たちだ。
ベラを旅へと誘うプレイボーイ弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)ほか、劇中で彼女と関わる男性たちには共通点がある。父/愛人/夫、どんな顔を持っても結局は己の限界の枠にベラ=女性を押し留めようとする点だ。彼らは皆、自らの勝手な期待を裏切ったベラに対して「君を許そう」と口にする。しかし、ベラは、そしてこの映画は、「お前らの許しなんか別にいらねー」と踵を返す。誰かに許容されて存在するのではなく、自らの意志で世界に立つことが何より重要なのだと背中を押すのだ。
ベラの選択は、さまざまな点でゴドウィンからの継承を思わせるものだ。ゴドウィンに重ねられる古き父性(※2)をただ排除するのではなく、良いことも悪いことも理解して受け継ぎ、次のために選択する。それが男女関係なく未来を作っていくために望ましい決断である…という価値観は、『バービー』以降も古びないものだろう。
まとめ
これは、『フランケンシュタイン』の精神を受け継ぎつつ、正しく解放した物語。
その他、モノクロとカラー、美と醜が交錯する映像魔術(※3)、絹糸を引き絞るような弦と映像と同じように歪んだ音が禍々しくもどこかファンシーな音楽(※4)、ここぞと勝負をかけにきた演者たち(※5)。
各ポイントだけでもじゅうぶん一本の映画評が書けるであろう豊かな作品であり、もちろんヨルゴっさんらしい大クセエログロも見逃せない。大好きな人も大嫌いな人もたくさん出そうな、間違いなく2020年代を代表する毒と華にまみれた映画だ。
真に『哀れなるものたち』(Poor Things)とは誰なのか…それに気付いたのなら、みんなで正しく傷つこうじゃあないか。
注なるもの
※1:そもそもシェリーの実人生とも重なる点が多いらしいとのことで、町山智浩氏が解説してくれています。
※2:GODであるゴドウィンもまた「受け継いだ」者であることが徐々に明かされる。観察が肝要なのだ、という自然科学の基礎ともいえる教えは功罪ともに孕み、ベラ(次の世代)へと引き継がれていく。
※3:映画が進むにつれ、カラーの画面、コントラストがしっかりした(フィルム撮影?)画面の分量が増えていくように思った。これは、徐々にベラの自意識がはっきりとしていく過程とリンクしているのかも。
※4:Jerskin Fendrix氏、今作が映画音楽初挑戦とのこと。信じられん。劇中のとあるシーンではしれっとカメオ出演。
インタビュー動画(下記)では、楽器の音を生物の出す音に近づけるために時間をかけて工夫した…的なことを言っている。
※5:エマ・ストーンの、ヨルゴス監督前作『女王陛下のお気に入り』からさらにアクセルを踏み抜いた如き大盤振る舞いは、マーゴット・ロビーにはもう真似できないだろうなぁ。マーク・ラファロは私生活でもけっこうパッパラパーなところがあるようなので、今作の役柄にはとてもマッチしてたと思う。