涙も晴れて、虹になる。思い込み脱却物語。
こんばんは🌛
にじです🌈
2024年の棚卸しにギリギリ間に合うか、
滑り込みで書いてみたいと思います。
タイトルにある通り、
今回のテーマは、「思い込み」。
昨日の記事で、今年の漢字は、
「氣」だった、と書きました。
色々なことに氣が付いた1年でした。
そのうちの1つが、自分が生きてきた中でこさえて、長年抱えていた思い込み。
今日は、どんな思い込み?どうやって軽くなったの?こんなことを書いてみたいと思います。
いつからか
このnoteでも、度々書いていますが、いつ頃からか、漠然とした「生きづらさ」を感じていました。
不登校になりかけた中学生時代。
ムキになって皆勤賞だった高校生時代。
「生きづらさ」という名付けに安心し、居場所を求めた大学生時代。
「ものを考える」ということを身体で学んだ院生時代。
就職してから1年足らずで、行き詰まりを感じ、友人に勧められ、noteを始めました。
社会人になってからのことは、こちらに詳しく書いてます。👇
noteを始めた頃、当時の私が思い描いていたのは、「誰もが生きやすい社会の構築」でした。
構築っていう言葉選びが硬いですね。笑
院生時代、「生きづらさ」にこだわっていた私に、指導教授が「生きやすいってどんなだろうか」と問いかけたことがありました。
それまでの私は、そんなこと考えたこともなく、発想が真逆で、目からウロコの氣分でした。
それまでは、「生きづらさ」という生きることが難しい、苦しい様子を表す言葉を選んで、自分の言いたいことを表現しようとしていました。
その時、「私って負の面から、物事を見ていたんだ」とうっすら感じ、「生きやすい」というストレートな表現に肩の力が抜けたようでした。
なぜだか
noteを書くようになって、自分の氣持ちと向き合いながら言葉を発するようになり、少しずつ「生きやすい」を考えられるようになっていったと思います。
ですが、院生時代や新卒時代は、まだまだ「生きづらさ」から見ているところがあり、ネガティブ起点がクセになり、「落ち着いてしまう」ような所がありました。
そこから、必死に「生きやすい」と素直に前に進む方向へとなんとかなんとか思い直すことの繰り返しでした。
noteに書いたり、日記に書いたり、人に話したり。
アウトプットしながら、どこに向かえばいいかも分からず、けれどこれは違うと思う道からは外れて、軌道修正をちょびちょびして。
noteの初期の記事は、そんな感じの記事が多いです。
note1号記事と、2号記事です。
「幸せになりたい」、「誰もが生きやすく」。
この時発していた、その言葉に隠れていたのは、
「楽になりたい」でした。
あの時は
そして、なんとかなんとか日々の生活をこなしていた時。
仕事もプライベートもごちゃごちゃになり、急な断薬も重なり、動けなくなりました。
会社を休み始め、実家と一人暮らしの家を行き来しながら、かろうじてつないでいました。
今お付き合いしている彼とは、この時期に出会っており、付き合い始めてすぐ仕事を休み始めた私を辛抱強く支えてくれて、とても感謝しています。
この時は、表面上取り繕っていましたが、自分の人生を自分が生きていないような感覚で、まさに自暴自棄でした。
頭も心も体もちぐはぐで、なんだかわたしが「浮いてる」感じでした。
※今はバランスが取れてきて、日々の言動や感じ方に「しっくり」きており、「浮いてる」感覚はありません。
今から振り返ると、この時は、なかなかしんどかったな、と思います。
1番言いたいこと
いつからか、「生きづらい」と思って生きてきて、仕事もプライベートもごちゃごちゃになりました。
だけど、自分がそう思い込んでいたから、生きづらいわたししか見えなくなっていた、ということに氣がつきました。
かわいそうなわたしじゃないと愛されない。
不幸な人生がわたしにふさわしい。
どうせ私は人から嫌われる、好かれない。
そう思い込んでいるから、上手くいかないことやそういう現実をキャッチしやすくなっていたのです。
それを繰り返して、ネガティブ思考が癖になっていたので、不安といつも仲良しで、不安に踊らされてるわたしに慣れてしまっていました。
だけど、1番言いたいのは、それは自分が作り上げた思い込みだった、ということ。
そのことに氣がつくと、
というよりは、もしかしたら私がそう思い込んでるだけでは?と見方を変えてみると、
私の周りには、生きていくために必要なものも、生活するために必要なものもそろっていて、私を氣にかけてくれる人たちもいて、もう既に「ある」ことに思い至ります。
これまで「ない」ことにばかりフォーカスしていました。
けど、そんなことないんだよ。とふわっとあったかい毛布を自分にかけてあげるように、
大事にしてくれる人を大事にすればいいし、
一緒にいて心地よくない人からは離れる。
何よりもまず、わたし自身が自分を大事にできるように。
そういうあたたかさを取り戻していく中で、「浮いていた」わたしが少しづつ、地に足がつくようになっていったかなと思います。
揺り戻し
こうやって書くと、何かのタイミングに大きく変身したかのようにもみえますが、実際はそんなことはなく、私の見た目はさほど変わりません。
人間ですから、体型が多少丸くなったり戻ったりしましたが、そのくらいです。
目に見えない所で、考え方や思考のクセが、1mm1mm?、本当にすこーしずつ、少しずつ、ネジを回すように、変わっていたのかなと思います。
それも単線的な矢印ではなくて、ぐるぐる螺旋のようだったり、波のようだったり、行きつ戻りつの道のりだったと思います。
そういうことか!と納得して、すっきりして、軽くなったと思いきや、え?本当かな?やっぱり違うかも。とまた懐かしの不安部屋に戻っていたり。
そういう揺り戻しもあったし、これからもそれはまだあると思います。
けど、こうして振り返ったり、noteに書くことによって、揺り戻しの振れ幅が小さくなり、より早く自分の真ん中、心地良い所へ戻ってこれるようになると思ってます。
まとめ:無駄なことはない
そして、振り返って、あの時があるから、今のわたしがいるんだ、と思います。
私も自分がしんどい時は、「いつか糧になるから」と言われても、今そう思えてないから苦しいのに、とふてくされていました。
けど、そういう私に必要だったのは、解決策や特効薬を探すよりも、真ん中のわたしに戻って、本当は何がしたいのか、問いかけ、心の扉が開くのを待つことだったと思います。
もし、今しんどい思いをされてる方がいたら、自分にやさしくして、あったかいお布団かけてあげてくださいね。
何が心地よく、喜びになるかは、その人一人ひとり違うと思います。
自分はどういう心地良さを求めてるのか。
応えがあることを祈っています。
最後に
ちょっと、いつもよりは硬めの文章になってしまったかもしれませんが、にじの定点観測として、2024年終わりに発した言葉を残しておきたいと思います。
昨日の記事で書いた、自分のこれまでを「愛おしい」と振り返る感覚を胸に、ここまでやってきたわたしに拍手を送りたいです。
最後に、パートのお仕事を始める前くらいに、工作して作った「お天氣ボード」をご紹介します。
自分の好きな言葉と手作りイラストをその日の氣分でカスタマイズできるように、と作成しました。
この記事のヘッダー画像は、相田みつをさんの詩「肥料」をイメージして作った手作りイラストです。
どうぞ🤲
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
いつもスキ、コメント、フォローありがとうございます✨
またお会いしましょう🌱
良いお年をお迎えくださいませ🌌🐍
この記事を書くきっかけをくれた風の歌のナウシカさん。いつもありがとうございます。
次の新月を明後日に控え、最早間に合ってないかもしれませんが、外に出せて良かったです。
※追記
投稿してから、童謡「にじ」もご紹介したくなり、YouTubeを載せます。以前もご紹介した動画ですが、お楽しみください🌈