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久々に見たもののけ姫
久しぶりに見たもののけ姫は以前より壮大な物語になって待っていた。
子供のころより、理解できる感情が増え、それぞれに事情があることも知った。
その事情は、自分だけじゃどうしようもないことがあることも学んだ。
そして、生きていくこと、生かされていることに気づいた。
だからだろう。
私の子ども時代、世間では地球温暖化が盛んに叫ばれていた。
海面上昇で氷が溶けて島がなくなる、オゾンホールの拡大、森林伐採による砂漠化、などなど。
この影響が強く、自然は壊してはいけないもの、大切にすべきものだと強く理解していたし、人間の活動が他の種族に多大な迷惑をかけている事実を申し訳なく思ったりもしていた。
そんな小さな私。もののけ姫は完全にサンを応援していたし、人間を悪者だと感じていた。
大きくなった今の私は、当然そのような見方はできなくなっていた。
この変化が、良いのか悪いのかは分からないが、できなかった。
だから、単純な自然vs人間構造の映画ではなくなっていた。
自然は大切にすべきだし、他の種族の住処を奪うのはよくない。
だけど、弱肉強食の世界である地球。人間は何もしないと多分弱いから、そうせざるを得ないことも分かる。
アシタカは、“共存”を求めたが、それがとても難しいことも理解している。
自然と人間、どちらを応援するとかではなくなっていたし、多くのことが絡まりすぎているから、“壮大”だと感じたのだと思う。
もう一つ、“壮大”だと感じた理由として、“神様”の存在がある。
自分でも驚いたのだが、今回私は、“シシ神様”に対して畏敬の念を抱いた。
命を与え、命を奪うシシ神様。
神様の足跡に誘われる蝶は美しかった。
シシ神様のお顔が画面いっぱいになった場面、いままでただの一場面だったのに、非常にドキドキした。
そして、計画される“神殺し”。
前述したように、今まで自然vs人間で見ていたので、“神殺し”という行為はその一部でしかなかった。
“シシ神様”に畏敬の念を抱いた今回。
“神殺し”の背景にも初めて目がいき、この行為を重く受け止めた私がいた。
感じること、考えることが増えた私の心と私の頭。“しょうがない”と現実的になった私の目。
正直、「こんなに鑑賞するの辛かったかな。」そう思った。
“共に生きる”
それは、どんな状態のことを指すのだろうか。
はりつめた弓の、ふるえる弦よ。
米良さんの歌うもののけ姫主題歌。
森の中のシンとした空気を感じさせてくれる。
『もののけ姫』 スタジオジブリ
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