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障害を自分のギフトに

プロフにも書いてますが、
私自身パニック障害と双極性障害をもち10年経ちました。
まず、言いたいことは

障害は障壁ではない

このように、綴った理由は、自分の今までの振り返りで感じた今の心境です。

「障害」は自分自身が生活する上では重荷となるもので、一生向き合っていかなければならない。 
確かに身体・精神に障害を持つことで、社会的に「障害」という名を持った「自分」を生きなければならないことを強いられる。
それは、誰しもが対峙する確かなことです。「障害」と診断された時点で、心境的に社会から「お荷物」のようなラベルを貼られ、社会からの「負い目」を意識しながら、「制限」された生き方を自分で制約せざる負えない心境に陥ってしまう。それは、人が人間社会で生きるうえで当然の過程であると思います。

しかし、私自身が10年間が「障害」と共に歩んできた感覚から言えることは、

「障害」と診断されないまでのどうしようもない自分の人生が、苦痛で仕方なかった。


なんで?自分だけこんなに辛いの?

「障害」という名を診断された時は、
一時的に絶望的な心境にも陥ったと同時に、今までモヤモヤした不快な感覚が解消され、これからの進みべきレールが現れ、これからの自分自身の歩み方を見出した。

それ故に、「障害」は

自分の人生を生きる上で

与えられた「ギフト」

だと思ってます。

「障害」は心の持ちようでは自分自身の一部とし、いわばキャラクターの一部として捉えることもできるし、決してネガティブなものではなく、それを乗り越えるための「ギフト」として思えるものなのです。

心の持ちようでは

「障害」は自分のものになるんです。

つまり「障害」は、

自分の中から生まれたもの

とも思えもします。


障害に縛られず、壁ではなく

自分のギフトに。


そう感じ、自分に与えられた人生のレールの一部として感じるだけでも、前に進めるものです。

ゆるく、肩の力抜いて、歩みましょう。


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