大人になるということ、家族への執着
前までは、自分の家族の事についてこう思っていた。
祖父・祖母は息子を早くに亡くした不幸な人たちだ。母親は精神病の男と結婚して、毎日クタクタになりながらしんどそうにして生きている。父親のせいでこの家族が不幸になった。俺は絶対に父親みたいな人間にはならない。父親みたいになったら人生終わりだ。そうなったら人に迷惑かける前に死のう。俺は父親の息子じゃない。おじいちゃんのため、俺は早くに亡くなったおじさんの代わりになろう。
俺が家族を喜ばせて幸せにしないと生きる価値が無い。
最近になって、その感情に偽りがある事が分かった。本当は「家族の皆に甘えたかった」「皆に頼りたかった」という感情に蓋をして、生きてきたという事に気づいた。
家に帰ると、祖父が怖くて甘える事が出来なかった。母親は家でいつもくたびれて声をかける事すら遠慮してしまった。親父は自分の病気の事、もしくは今日のテレビ番組の内容に夢中で話しても無駄だと思っていた。自分の意見を家で出すのが怖かった。だから家では自分を押し殺し、辛いことがあっても何もないかのように過ごしてきた。
研究室に入り、自分が何をしたら良いか、誰に頼っていいか分からなかった。会社で仕事で分からないことがあった時、先輩に助けを求めて良いと思えない。実の家族に頼れないんだから外の他人に頼れる訳がない。
まだ父親の病気の状態が良い頃、父親が料理を作っていて男なのにすごいな、と思っていた。部屋にサックス、ベースがあって多趣味でカッコいいなと思っていた。いつからか親父は病気を理由に家でただぐうたらしてるだけになってきて、その現実を見るのがめちゃくちゃ嫌だった。現実を受け入れるのが辛すぎて自分を偽るようになっていた。
最近母親に自己開示していく中で、なぜ自分がアダルトチルドレンなのか根本の原因が分かってきた。
自分から家族に何かを伝えると、否定される・怒られる。だから自分の意見を言うのが嫌になる・諦める。それは結局自分が家族に対して「全肯定しろ」っていう発想の元で考えているからそうなる。親・祖父母に対して自分を受け入れてくれる安全を求めているからしんどくなる。
本当は親が自分の事を否定しない、安全を感じ取れる家が羨ましい。だけどその願いは絶対に叶わない。もうこれからはしょうがない。親に何か意見を伝えても認めてくれない。まあ違う個体の人間だからそういう事もあるか。
親は不完全な人間である。俺も不完全な人間である。
親は親の人生がある。俺には俺の人生がある。
だからもう俺は親の顔色を伺わないし、親からの支配も受けない。
自分が自分を1人の人間として認めて、意見を述べる。否定されても受け止める強さを持つ。人に言われたから、世間ではこうだからじゃなくて、意思決定の責任を自分で取る。
今は自分は大人になった。
自分が決めたい事は自分で決める。
これができれば人生上手く行く。