【企画参加記事】運動会・体育祭前夜
みなさん、こんばんは。禧螺です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
紅葉を待っているのに、私の家の桜の木は、いまだ葉が緑色なのです。
大丈夫なのだろうかと心配しつつも、少しずつですが葉の色も変化してきているので、このまま見守っていこうと思います。
本日はフォロワーさんである、 wisteriaさん の企画に参加させていただくべく、運動会・体育祭の思い出を、語らせていただこうと思います。
企画の詳しい内容は、こちらでご確認ください ↓
また、共同でコラボ企画される 菜戸つみれさん のnoteはこちら↓
(wisteriaさん、菜戸つみれさん、急にリンクをはったことで驚かせてしまってすみません。不都合がありましたらすぐに外しますので、教えていただけると幸いです💦)
それでは、参ります。
🏁
私自身、運動は、あまり得意ではありませんでした。
ですが、毎年の運動会や体育祭、特に前日の準備がとても楽しみでした。
運動会・体育祭という、非日常の空間が造られていくところから、運動を通した祭りの楽しさを、味わえるからです。
運動会・体育祭で、グラウンドはいつもと違う顔を出します。
いつも、無造作に転がっている小石たちは、綺麗に片付けられてしまい、ちょっぴり迷い込んでいた草も引き抜かれてしまいます。
まずはじめに、地ならし。
グラウンドにあった凹凸や、誰かの落書きが消えて、地がみるみるうちに平坦になっていき、普段足を踏む地が、違う空間に整っていきます。
一定量の砂が一方向に流れている様子は、ぼぅと見ていると、大きな大河のようにも思えてくるのです。
地ならしの後は、ラインパウダーが、グラウンドを、運動会仕様に粧っていきます。
だだっ広いグラウンドが、ラインを描き込まれていくことで、いくつかの空間ができ、それぞれの役割が与えられます。
選手入場場所。
50m走競技場所。
応援席。
運動会・体育祭本部場所。
一つの大きな場所に、細やかに場所が作られていくと、まるで屋台が集まったお祭りです。
ただし、普段思い描かれる祭りとは違って、屋台の代わりに、競技や応援、表現などがあるのが、魅力の一つだと思っています。
そのあとに運ばれてくるのは、テント。
運ばれてくる時は、最小の形に収納されていますが、ビニール屋根が組み立てられた時は、いよいよ本格的に祭りとして動き出すのだなぁという、ワクワク感を味わえます。
屋根が組み立てられると、待ってましたと言わんばかりに、放送機材やパイプ椅子、長机がぞろぞろと入っていき、本部は本部の装いを、応援席は応援席の装いをと、さらに細かく”その場所”を具現化させていきます。
先ほどまでは、ただの椅子や机だったのが、上に置かれる物や使い方で、一気に運動会・体育祭の雰囲気を作ってくれます。
たかが備品ですが、それでも、その祭りを根幹を支えるのは、日常的に使う備品です。
そして、空には万国旗と、各チームの大旗があげられます。
万国旗を空に掲げる由来は、インターネットに載っていると思われるのですが、私自身はそれを知らなくとも、なんとなく幸せな気持ち、平和さを感じられたので、それでいいのです。
思いっきり身体を動かせることの喜びを体感できるものが運動会・体育祭だと思っていましたし、今でもこの見識は変わっていません。
私の住む地方では、色別にチームが別れていて、小中通してあった色は、赤、青、黄色、緑でした。
自分が所属したチームの旗が、風に靡く景色は、言葉に言い表せない高揚感があります。
応援合戦の時には、チーム色の旗が一斉に掲げられ、その色で空が染まる。
現実的ですが、幻想的な風景です。
当日になれば、非日常に完成された空間は、時間を追うごとに、現実に馴染んでいきます。
綺麗に整っていた各場所は、砂埃や人の動きで、普段の運動場と近い格好になっていき、最終的には空間を仕切っていたホワイトラインも、跡形も無く消え去ります。
運動会・体育祭が終わる頃には、もうすでに現実に帰ってきているように、感じていました。
それでも、前日に感じていた高揚感や感動は、今でもその地点に気持ちをかえせば、鮮明に現れます。
いつまでも鮮明に感じられる気持ちを、大切に持っていたいです。
現実に馴染む前の、運動場であって運動場でない空間に不思議な感覚を感じるのは、非日常だからこそ感じられる、自分の「生きている」という実感が、より湧いてくるのかもしれません。
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トップ画像は 川田まいこ様 からお借りしました!
ありがとうございました。
みなさんからのスキに、今日も素敵な一日を送れます。
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。
それでは、今日はここまでです。
みなさん、よい夜の時間をお過ごしください。