いつも何度でも
みなさん、こんばんは。禧螺です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
今朝は一段と冷え込んで、霧も深く、お花についていた水滴が凍っているような寒さでした。
毎朝、越冬さなぎちゃんたちを外に出しているのですが、自然に育っている子たちは、人に飼育されるよりも、もっと過酷な状況で越冬することを考えると、冬を生き抜き、春にうちの庭に来てくれることがどれだけ奇跡的なことかが、少し分かる気がします。
また春に、みなさんにも「蝶が来てくれました!」って言えるといいなと思います。
本日は少し、自分の中で印象に残った話を聴いて欲しいです。
💟
今朝の話ですが、会話の一言目が、
「私の方が、禧螺よりも、誰かに依存する気持ちが強いし、不安に思う気持ちが強かったのだと思う。」
というものでした。
どうして急にそんなことを感じ取ったのかを聴くと、いろいろ学べば学ぶほど、自分は何も知らないことがよく分かって、自分自身がこんな中途半端なのに、よく養護教諭として子どもに指導が出来ていたものだと、言ったのです。
これに加えて「私の持つ”繊細さ”をしっかり見守ることが出来なかった」と、とてもしょんぼりしていました。
確かに、母が憎くて「どうしてこんな人が母親なんだ」と思ったことが何度もあります。
学校の子は見るのに私は見ない、「どうして私なんか生かしてんだよ」とずっと思っていました。
思って思って思い切って、出た一つの答えは、
「母みたいに、現状に留まっていたくない。好きなことを追求していたい。」
という気持ちでした。
母は多分、ひとり親ということもあって、仕事と子育ての塩梅を上手く調整出来なかっただけで、当時から必死に働いて育ててくれていたと思います。
そんな母を見て育ったから、私がHSPを研究する時・見ていく時には、
「知りたい部分だけ知れたから十分だ、ではなく、より多くの分野から見つめていきたいという姿勢が確立された」
と言えると思いました。
ですので、母には
「お互いが生きているうちに、そうして話し合えることの方が、私は嬉しい。しょんぼりよりも、母が今まで培ってきた教育学的視点や人生経験視点で、HSPが周囲からどう見られているか、もっと教えて欲しい。」
と言いました。
母はその言葉で少しそわそわしているように見えましたが、私には本心です。
向精神薬の後遺症の後遺症もあるのか、何度も似た様な内容の不安が押し寄せるのかもしれません。
たとえそうであっても、大事なことなので、何度でも言いますし伝えます。
それで誰かの一瞬でも不安を取り除けるならば、私のその一瞬は光ります。
同じことでも、届く誰かは違うかもしれない。
その誰かとも、ご縁があればつながれたらいいなと思います。
💟
トップ画像は ふうちゃん様 からお借りしました!
ありがとうございました。
みなさんからのスキに、ニヨニヨと上機嫌に眺めているのは私です。
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!
それでは、今日はここまでです。
みなさん、よきおやすみ時間をお過ごしください。
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