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謙遜も過ぎれば。

生まれて初めてのサーティワンのバースデークーポンを駆け込みで間に合わせ、生まれて初めての自力での春のパン祭りを完走した。どうもこんばんは。彗月はづき 漣太郎れんたろうです。諸々あって私は今年の誕生日を『私を産み直した』と考えているため、ようやく一才児である。

せっかくなのでいつも食べているポッピンシャワーではなく、期間限定フレーバーのコットンキャンディパステルにした。少し甘すぎたが、桜色のパフが可愛らしかった。

掛け込みセーフだった。
来年は余裕を持って行動したい。

パン祭りの皿は丈夫で有名で、1999年、2000年の皿が現役だった我が家では「一回買ったら皿を買い替えるタイミングを失うぞ」という言い伝えがあった。それをこれから20年かけて検証していこうではないか。

一人で30点はキツいというのがわかった。

謙遜と自己肯定感の低さ。

さて、脈絡もなく話すが、新美南吉が書いた『花をうめる』という題名を思い出すために四苦八苦している最中に自分の過去の発言を発掘し、感心したので今日は謙遜について触れていこうと思う。(ちなみになぜ題名を思い出したかったかというと、花を埋めた窓を覗き込む描写にエロスを感じるという話をしたかったのだ)

そもそも、作家なりなんなりが自分の作品を否定する時、それは謙遜なのだろうか。これは私の場合だが、基本的に対クリエイター間でない限りは、私は本気で私の作品を否定している。謙遜ではない。私の作品はどれも秀作であると思っているが、それでも駄作・蛇足というものはいくらでも生まれ、それを本気で恥じているのだ。だから私は私の作品を否定するし、何度も書き直す。

たまに自分のレビューが作家の救済になっていると信じている読者から「私が好きな作品を駄作だと言わないでください」というお便りが届く事がある。それ自体は大変ありがたいし、まぁ特効薬とまだは行かなくてもサプリメント程度の作用はあるが、作家からしてみれば「よっぽど私が好きなんだな」か「この人ちょっと変だな」……あるいは「テメーよっぽどバカなんだな」ああいや、つまり、「この程度の作品がすごいと思えてしまうほど貴方の読書体験は乏しいものなんですね」という気持ちのどれかである。(これは読者をふるい落としたいわけではなく、『その言葉で救済されるほど気軽に自分の作品を貶していない』という意味だ。念のため。)

これらは失礼極まりない言い方だが、私は私の読書体験がとても乏しく、さらに言えばその読書体験の再構成である私の作品はの下のゲーだと思っているので、私の作品が好きと言う人は私の事が好きか、変人だと思っている。

(それはそれとして私は私の作品が大好きだし、私の性癖の煮凝にこごりなので私にとっての秀作だと思っているし、好きな人が見ればそりゃもう抜けたり泣けたりする作品であると思っている)

過去最高の駄作。

私の過去最高の駄作は、いわゆる『AAアスキーアート小説』や『ブーン系小説』と呼ばれるものだった。その時その瞬間の愚痴を吐き出すために、泣きながらサンマルクカフェで書いた、制作時間2時間足らずの作品だった。

ストーリーとしてはショボン(´・ω・`)が経営する喫茶店に少年ギコ(,,゚Д゚)が訳ありげに訪れる。何度か会話を重ねていたが最終的にギコは自殺。幽霊となってショボンの前に現れ、ショボンはギコが自殺したことを知る。ショボンはギコの席を予約済みとしたまま待ち続け、何年かのちに生まれ変わったギコが恋人のしぃ(*゚ー゚)を連れて予約済みの席に腰掛ける、といった内容だったと思う。

当時の私は非常に追い詰められており、実は服薬自殺を図るなどをしていた。誰かに助けて欲しいがそれを誰かに求めるほど自分が追い詰められているとは思えず、『本当に悩んでいる人に失礼じゃないか』などと思い、それを人に打ち明けることが出来ないまま自殺未遂にまで至ったわけだが、その心情をそのまま『恐らく限界である事を察しているのに助けてくれない大人』『助けて欲しいけど助けを求められない子供』の構図に当てはめた、マジでただの愚痴である。

この作品は私が当時連載していた、いわゆるモキュメントギャグ(こちらは大好評だった)の次に人気の作品だった。モキュメントギャグの方は流行りに便乗するために意図して書いていた事と、ネタに事欠かない程にネタのような出来事に溢れていた時期だったのでヒットするのは当然だったが、このAA小説については本当になぜヒットしたのか分からなかった。

というか、頭を悩ませて考えていた完全に趣味で書いているオリジナルの大正ロマン×近未来SFな小説のアクセス数がほぼほぼ0だったのに、2時間の愚痴がヒットした事に腹が立っていた。オチも手垢まみれだ。なので私はこれを度々駄作だと呼んでいる。

まぁ今読み返したが、それなりに伏線があり、そこそこに共感を呼び、起承転結があり、完結しているのでまぁ確かに?ちゃんと書かれているじゃん?と思うが、それでも内容は愚痴である。まして当時はメンタルクリニックというものがまだふわついており、精神を病んでいる(いわゆるメンヘラ)を自称している人=痛いファッションメンヘラという認識がまだまだ根強い時代だったので、ただただ恥を晒しただけの作品だったのだ。

(私自身、本気で悩んで、自殺未遂まで実行しているくせに、死にたいという気持ちは毛ほどもなく「死にたくないから精神は正常」「この状態で精神病だと言ったら本当に悩んでいる人の迷惑になる」「私はファッションメンヘラなのではないか」という認識だったし、いわゆる『本当に辛い人は辛いと言わない』『自殺する人は何も言わずに死ぬ』という時代だったのだ)

『出さない秀作より出す駄作』という手垢の付いた言葉。

残念ながら、結局はこれに尽きるのである。(表記揺れは適当に補完して欲しい)これまで駄作はいくらでも出してきたし、出さない秀作はその100万倍ある。が、少なくとも出さなければ当然評価はされない。良かれ悪しかれだ。当然こんな言葉は何かを創る人間には言うまでもないと思うが、もう少し踏み込んだ言い方をすると、出さない秀作は出ない秀作なのだ。某構文か?

秀作でないと、あるいはまあ、せめて自分が納得した形でないと出せない、という強迫観念はいずれ筆を折る。秀作が書けなくなったと思った時点で詰みだからだ。当然、私たちは秀作だけを生み出すわけじゃない。100ある内の99は駄作であり、その中の1が秀作ならばめっけもん程度だ。500作って500が駄作かもしれない。501が秀作かもしれないが、10,000まで駄作になるかもしれない。

逆に私たちが99を駄作だと思っていても、世間はその内の15ぐらいを秀作だと思ってくれるかもしれない。案外世間というのは私たちほど目が肥えていない。実は私には大賞応募してそれなりに評価された作品なんかもあるわけだが、その作品も私の中ではオチがイマイチで納得しないまま期日が来たから提出したものだ。それがあっさりと、最終選考辺りまで残っていたらしい。ショックだった。

もっと言うと、編集が付いたので、マンガ家のようになんとか押し上げるために赤ペン先生みたいな事を小説でもやることはないのか(ないらしい)と問い合わせた時に「文章力は編集がどうとでも出来る。作家はアイデアを出す役で、あなたの作品はそれを評価した」と言われたのだ。ついでに、文章力はイマイチだと言われた。くそぅ。

作家はチョロい。

99の駄作だと思っていた作品を出した時の話に戻る。世間から15を秀作だと評価された時、私たちはただ怒るだけだろうか。散々言っておいてなんだが、私だってちょっと嬉しい気持ちもある。くやしい。褒められ続けるとどうなるか。作品が愛おしくなる。事がある。本当にチョロいが、人間は所詮そんなもんである。

実際に、70本ノックをした時に私の作品に毎度コメントを丁寧につけてくださってる方がいたり、駄作だと落ち込んでいた作品をえらく褒められ、読み返してみると「まあ、それなりにいいんじゃね?」となる事もままあった。

そして仮に誰にも褒められなかったとしても、数年後、忘れた頃に読んだ自分に「えっ、めっちゃいい作品じゃん」と褒められる事もあるのだ。

何が書きたかったのかわからなくなってきた。実は今日は誕生月の祝勝祝いなので、酒を飲んでいるし、ゲーム実況の生放送を流しているので上の空で書いている。ごめん。この記事は駄作だぁ〜。

今、ちょうど別件の二次創作で、駄作3,000文字を投げ捨てて書き直すか、一度完成させるか悩んでいるのだ。私が一人で楽しむ分には駄作でもいいが、これはよそ様にも捧げるものなので最低限、私が秀作だと思えるものをお出ししたい。しかもお相手は何故か私の作品を評価してくれる謎のコミュニティのお方である。

(暁人との二次創作会話を見た方々に過大評価されてしまった……うれしい悲鳴だが、好き勝手妄想しているだけのマジで全くの部外者なので本当に恐縮している)

花をうめる、を検索していた時に見付けた私の言葉は、そんな自分への、過去の自分からのケツ叩きだと信じて一度書き上げてみようかな、なんて悩みながらの23:46である。ぜーはーぜーはー。

このnoteも大概だな、と思うが、noteは駄作でも毎日更新というルールで書いているから駄作でも出さなければならないと決めてあるし、そもそも私のフィールドなので酔っ払いの管巻きを聞いてもらうぜ!それに中々読み応えがあるだろう?

次回予告。

えっちなうちの子の話したいなぁ。(本編はまだか)

おまけ。(2023/04/01 追記)

①いい大人達はいいぞ。

ちなみにこの記事はX68000Z(X68000ミニ)の開封式を流し見しながら書いているのだった。

4/1はいい大人達法人化発表の記念日です。
やった〜(ドンキーコング)(内輪ネタ)

②ブーン系小説(AA小説)

私はもっぱらオムライスで読んでいた。

最初に読んだきっかけはいわゆる当時の2chコピペサイト的なもの。多分『( ^ω^)ブーンが戦い、川 ゚ -゚)クーが護るようです』から入って、抗い護るをリアルタイムで読んでいたと記憶しているが、その流れでブーン系小説にハマっていた。

その中でもおすすめは以下の通り。

( ^ω^)変わった人達のようです
( ^ω^)ブーンの力は役立たずのようです。
('A`)は丸い部屋に閉じこもっているようです
( ^ω^)ブーンとプリンなようです
('A`)ドクオは淫靡に溺れてしまったようです(R18)
( ・∀・)見つめているようです
( ゚д゚ )と(*゚ー゚)の夏の夜のようです(R18)

変わった人達のようです、についてはこれをリスペクトし、創作キャラで全く別の作品と言う形ではあるものの、実は創作オムニバス集を出すに至っている。(これもいずれ発表したい)このオムニバスは私の中での人生の転機にある作品でもあり、刷新して3回書いているほどのお気に入りでもある。私は作者の事を一切知らないし、この作者が他に何か書いているのかも知らないが、掲示板の書き込みで綴られた物語がそれだけ他人に影響を与える事があるのだ。

AA小説はいわゆる『スイーツ(笑)』という蔑称で呼ばれていたケータイ小説というジャンルに並び、(私個人の肌感としては)地の文が少ない、セリフだけで書かれているという点で色々言われていたと記憶しているが、それでもこうやって誰かの心に一生残る作品群になりうるのだ。ぜひ読んでみて欲しい。

ちなみにだが、AA小説というものについて。これは顔文字ごとにおおよそのキャラ設定がある。(いわゆるスターシステムで、簡単に言えば『おそ松さん』のような、ある程度性格が読者の中で共有されている創作群である)

最初はわけがわからないと思うが、読んでいるうちにこのキャラは大体こういう役割で、こういう立ち回りをするんだなというのがある。わからなかったらこちらに大体キャラクター像が書いてあるが、まずは小説で読んで理解する方がきっと楽しいと思う。

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