傷口は、見つめすぎないのがちょうどいい。
12月ということもあって、仕事が忙しい日々が続いている。
先日数日間は、私にとってとても消耗するというか、心がすり減ることが多かった。
傷つくことに対して、とても不器用だったと思う。
誰かのちょっとした一言や仕草を大げさに捉えたり、何かを言われたりされたりしたらそのことばかり延々と考え続けたり。
なんていうのかな、「真っ向勝負」だったのだ。
原因を追及しなきゃと思っていたし、自分であれ他人であれ、誰が悪いのかをはっきりさせるべきだと考えていた。
それが正しいやり方だと思っていたけど、いやいや、ゲームの世界じゃあるまいし、それじゃ心がどれだけ頑丈でもすり減る一方だ。
心が消耗したとき、それを見つめすぎない方がいい。
もちろん時と場合によっては、そうなった原因をはっきりさせて、再発しないよう改善して…といことも必要かもしれないけど、社会で起こる多くのことはそんなに白黒はっきりつけられない。
だからそんなときは、美味しいものを美味しく食べて、お風呂にゆっくり入って、できるだけ長く寝よう。
余力があれば、自分の好きなことをするのもいい。
家族や友人と過ごすのもいい。
要は、目をそらすのだ。
私はそれは逃げなんじゃないか、と思っていた。
問題をちゃんと問題視しないなんて、甘えなんじゃないかと。
だけど、逃げちゃいけない理由も甘えちゃいけない理由もないし、多くの物事には時間が解決するという側面がある。
どうせ解決されるのなら、クッキーでも焼きながらその時を待っていた方が得策じゃないか。
それでもどうしても問題について考えたいのなら、まずは休んで冷静な思考を取り戻してからの方がこじらせずに済む。
(そしてそこまで回復すれば、大概のことはどうでもよくなっている。)
よくある例えだけど、人生は長距離走だ。
生きているだけでノイズは多いし、どんなに自分が望んで選択した生活をしていても、全く傷つかずに生きていけるということはない。
辛くて仕方がないときは、この辛さから脱却した先には桃源郷が待っていると考えがちだけど、残念ながらその先もリアルな人生は続くのだ。
だったら、傷はゆっくり治していこう。
せめて、かさぶたになるくらいまでは、いじくるのは待ってあげよう。
傷を治すための一番のくすりは、回復を待ってあげられる心の余裕なのかも知れない。
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