2023/01/23 BGM: SHERBETS - シベリア
朝、微熱を感じた。測ってみると37.0。確かに私にとっては熱が出たと言っても差し支えない体温だ。幸いなことに今日は休みなので安静にすることにする。朝、とある方がモニタリングのためにグループホームに来られる。そこでいろいろ話す。その後、横になり眠る。起きている時は保坂和志『季節の記憶』を読んで過ごす……といったことを今こうして書いていて、自分自身の日記に対する向かい方も変わったなとふと思った。ウェブ日記なら昔も書いていたが、すぐに飽きて止めてしまっていたことを思い出したのだ。その時の私の動機というのは結局単に「日記が流行っていたから」という程度のものでしかなく、私が本気で日記を書きたかったわけではなかったからなのだろう。今は友だちに向けて、そしてもちろん私のためにも、こうした日記を書けている。
大学生の頃だったか、保坂和志の小説と出会った。『プレーンソング』だっただろうか。それ以来、彼の書くものは注目して読んでいる。大学生の頃の私は本当に、懐かしい言葉を使えばピーターパン・シンドロームというのか大人になるのが本当に怖かった。こんな変人を雇う会社があるのか、運良く就職できても会社でこき使われて過労死とか……結局私はその後地元に戻り今の会社で働くようになったのだが、そんな風に大人になるステップを歩む中で保坂の小説世界に現れる、どこか情けなくも凛々しい大人たちから励まされたことは忘れたくない。貧乏かもしれなくても自分に忠実に生きる……そして今がある。改めて感謝を感じる。
『季節の記憶』を読み終える。改めて深遠な作品だと唸った。哲学的な考察が書き込まれていることと、主人公が鎌倉の大自然を丹念に描写していることがうまく溶け合って、独自の世界を描き出していると思ったのだ。私自身が住んでいるところも大自然に囲まれたど田舎なのだけれど、たまにはそうした自然を楽しむべく散歩してじっくり「見る」ことに務めるのもいいのかもしれないと思った。私は結局一生涯ウィトゲンシュタインの考えた枠の中でちまちま考えて人生を終わらせるのだと思うのだけど、ウィトゲンシュタインも確か「見る」ことの大事さを説いていたのではなかったか。「見る」ことに務めるのは意外と難しい。既視のものと一蹴しないで、改めてじっくり「見る」ことが大事だ。
カクヨムで面白い日記を見つけた。小林秀雄を読んでおられる方の日記だ。私は小林秀雄を読んだことがないので、試しに1冊読んでみようかと思う。『考えるヒント』から行こうか。こうして思いもよらぬ本と出くわし、知らなかったことを知ることで私の世界は変わっていく。最近読んだ茂木健一郎『生命と偶有性』の言葉を使えば、私は「流れ」の中にある。大いなるものが織り成す「流れ」に、私は時にこうして身を預ける。その後どうなるかわからない。小林秀雄は私に合わないかもしれない。だが、私はともかく勘がささやく通りに生きる。今までもそうだった。早稲田だって今の会社だって、先のことを小賢しく考えても私のポンコツな脳ではオーバーヒートするのがオチだ。則天去私。
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