毎日更新!知的SNSQuoraを使いこなすヒントメモ。10
20世紀が終わりに近づいたころ、とある都内の大学生達が、学食のたまり場で喋っていた。
ねえ、みんなでそれぞれホームページ作ってみない?
毎週のアクセス数が一番多かった奴が、学食を奢ってもらえることにしよう。
さえない文学部の学生は、毎日原チャリで通学していた。
時に学生は、警察に交通違反で止められていたが、よく罰金をごねて交通裁判所で争った。
そして罰金を逃れていた。
学生は、この経験を生かして、交通違反の揉み消し方というホームページを作成した。
このホームページは、飛躍的にアクセス数が上がり、彼は毎週学食を仲間に奢ってもらった。
やがて味をしめた学生は、会社を立ち上げ、ホームページ作成の代行サービスを始める。
会社名は、東京プラス。
東京プラス株式会社の情報
そんな彼は、家に帰るとあるネットの掲示板をいつも見ていた。
あめぞうである。
この掲示板は当時、日本一のおもしろ情報が集まった掲示板だった。
交通違反の揉み消しも話題になり、彼も積極的に書き込みをした。
しかしいくつもの社会的タブーを扱う掲示板だったため、外部からの影響で、管理人のあめぞう氏は心を病んでしまう。
彼は普通の学校の先生だったのだ。
巨大化したあめそうの運営は、彼には荷が重かった。
当初の計画では、交通違反の揉み消し方で、学食を奢らせ、ホームページの代行業を行う予定だったこの学生は、あめぞうの運営が弱体化していくと、あめぞうの2番手の掲示板構想を思いつく。
その名は2ちゃんねる、あめぞう崩壊前後に、世界で一番大きい掲示板サイトとなる。
学生には巨大掲示板を管理する自信があったのだ。
例え日本国内で苦情が殺到しても、2ちゃんねるが巨大化する時、彼は日本にいなかったからだ。
彼は学内留学で、アメリカのアーカンソー中央大学にいたのだ。
この目論見は当たり、2ちゃんねるは発展を続け、新たな価値観を社会に問う場所になっていく。
学生は中央大学の学生、西村博之。
ゼロ年代のSNSの覇者の一人となる男だった。
東京プラスは、2ちゃんねるを管理する会社に変わる。
彼が交通違反で取り締まりを受けなければ、ジャパニーズSNSは進化しなかった。
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