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こるりの台所太平記

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ご飯と、忘れたくないこと。あらゆる感情てんやわんや。
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魯肉飯と五月のキウリ

魯肉飯と五月のキウリ

 さらりと喉を通る茶色のきらめき。少し硬く炊かれた米が汁気を纏って流れ込んでくる。

 五月の末、魯肉飯を作った。ふと衝動が押し寄せてきたのだ。すっかり忙殺されて自炊もおざなりになっていたはずだが、時間をかけて煮込む過程を愛したくなった。

 ブロック肉を買ったのはいつぶりだろうか。独り身ではよほど余らせそうな量の肉塊を、うんと細かく切っていく。生姜や大蒜をそれよりも細かく刻む。このときばかりはチ

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蕎麦と風呂の週末

蕎麦と風呂の週末

 ここ数年で一番悲しかったのは、ラーメンで胸焼けするようになったことだ。そのおかげか、高校時代に馬鹿の一つ覚えで通い詰めた横浜家系の店にも久しく顔を出せていないし、何より食欲というかたちで湧き出てくる情熱が鳴りをひそめたように感じる。ただし、量という指標を抜きにすれば、私はいつでも食いしん坊だし、毎食に美なる味を求めていたい。

 「食べたい」に対する躊躇があらわになったのだ。ラーメンにせよ、とん

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牡蠣と小さな城

牡蠣と小さな城

 牡蠣を食べると、あの子のことを思い出す。

 大学のひとときにすれ違った、友だちと言っていいのかも分からない、あの子。

 管弦楽部で燻っていたときに軽音サークルを覗きにいって、コピーバンドを組むことになった、あの子。

 高校からの音楽仲間に、軽音サークルを紹介してもらった。大抵の楽器の心得はあったから、余っていたバンドにキーボードとして入れてもらった。

 あろうことか、文化祭にも出た。管弦

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ちゃづる / タピる

ちゃづる / タピる

 お茶漬けが、好きだ。交響的晩酌の終楽章にはいつも君がいる。私にとってお茶漬けは、マーラーの三番の、六楽章のような存在だ。あたたかなニ長調の出汁が、すべてを鎮めてくれる。

 私と同じような茶漬愛好家は江戸時代にもおり、「ちゃづる」なんて動詞まで生まれたらしい。

 ほう、「ちゃづる」か。江戸よりももっと最近、似たような語感を聞いたことがある気ががする。

 そう。君の名は――「タピる」。

 そ

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ポワゾンを食らわば、ポワソンと共に

ポワゾンを食らわば、ポワソンと共に

 どうにも何かを成し遂げる体力を、未だ身に付けられていないように思う。より厳密に言えば体力というより気力という気がしないでもないが、気力の大部分は体力から生まれるはずなので、やはり体力が欠けているのだろう。

 小さな頃から、何かを諦める中で取捨選択を繰り返してきた。向かぬものを捨てることで何とか生き永らえてきたが、もうほとんど手元には何も残っていない。

 成すよりも成さぬことが多かったせいで、

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メメント・ハラス・ハラスメント

メメント・ハラス・ハラスメント

 父は言った――握り飯を選ぶとき、ハラスのことを忘れてはならない、と。

 父譲りの食いしん坊で子供の時から損ばかりしている。小学生の時分から、昼餐を調達する際には決まってコンビニエンス・ストアに駆け込んだ。父は当時の男親にしてはかなり料理をする人だったが、何かとコンビニ飯を愛した。

 私が潔癖を感じるほどに均質な三角形の鮭おにぎりを好んで籠に入れようとすると、よく父に却下されたものだ。これでは

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