こるり

緡蛮たるるりてう。壱百と四拾を超える文字からなる囀り。ことば遊び。ひっそりと隠棲しつつ、院生もしています。

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マガジン

  • こるりのちなminuit

    読む深夜ラジオ。深夜テンションで考えた雑学と、言語系の浅い考察を中心に。もちろん世迷い言も。ゆらりゆらりと戯言。時たま嘘八百。二枚舌の百舌鳥。

  • エセー

    似非。随想録。かわいらしいものから自意識がみちみちなものまで。 清濁を、併せ呑むのは、貴方です。

  • コルリ・ヒトリ・ガタリ

    こるりのひとりごと。物好きの方用。「カタメ・コイメ・オオメ」への情熱は獄舎のような高等学校の瀟洒な図書室に置いてきました。

  • こるりの台所太平記

    ご飯と、忘れたくないこと。あらゆる感情てんやわんや。

  • こるりの安閑旅行記

    私的な旅行の記録。おもひでぽろぽろ、ぽろりんちょ。

最近の記事

#04 21世紀と夜想①

 どうも皆さんこんばんは。こるりです。  普段は人ひとりの環のなかで理性的な生活を送っているところ、今月の前半は人と夜を明かすことが多くなり、若者らしさが身についてきました。決してどこかから取り戻したわけではなく、新たに習得した過ごし方の一つというのがミソです。  その場限りの悪ノリから終電を逃してカラオケで友人と語らったり、旅先の繁華街に迷い込み場末のスナックで深夜まで飲んだり、合宿所の居室やホールで夜通し楽器を弾き込んだり。すっかり夏休みのような何かを謳歌しておりまし

    • インギンブレイク

       慇懃に振る舞おうと試みるうちに、慇懃を重ねることから遠ざかっていく。  私の内面に強く根づいた畏れは、礼儀正しさの反面、恐れにもかたちを変えてしまう。もしかすると嫌われているかもしれないという虞は、私の心身を硬直させ、それまでの思考をすべて真っ白にする。  はっきりと申し上げて、私は人付き合いが下手だ。特に、大人数の集まりがすごく苦手で、集団の中でどう振る舞うべきか、悩みが尽きない。「人付き合い」が指すところはおおよそ、一定以上の人数が集まる場へと身を投げることだろうか

      • #03 ワタシハウナギダ

         どうもこんばんは、こるりです。すっかり放置してしまいましたが、阿呆鳥の片鳴きコーナーをゆるりと復活させます。 ▼本エッセイはこちらのマガジンに収録。  端的に理由を申し上げれば、あくせくと、それでいて気楽に書くということに立ち返るため。それと文語上の敬体(です・ます調)の練習でしょうか。どうにも私には、口語が文語に侵されるきらいがありまして、油断して常体を会話上の基本設定にしていると、「〜なんだが?」と古のオタクのような語調になりかねないのです。  さて、会話下手な私

        • メメント・ハラス・ハラスメント

           父は言った――握り飯を選ぶとき、ハラスのことを忘れてはならない、と。  父譲りの食いしん坊で子供の時から損ばかりしている。小学生の時分から、昼餐を調達する際には決まってコンビニエンス・ストアに駆け込んだ。父は当時の男親にしてはかなり料理をする人だったが、何かとコンビニ飯を愛した。  私が潔癖を感じるほどに均質な三角形の鮭おにぎりを好んで籠に入れようとすると、よく父に却下されたものだ。これでは駄目だと彼は言う。ぴたりと海苔が巻かれた、人間くさいハラスの握り飯こそが良いのだ

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        • こるりのちなminuit
          4本
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          5本
        • エセー
          16本
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          2本
        • カスティーシュ
          3本

        記事

          うたかたの日

           シャボン玉、やりませんか。  電話口であなたは、そうおっしゃったんです。敬語で話すような間がらの私たちと、どこかいとけないシャボン玉のイメエジとの隔たりがとても可笑しくって、よろこんで承知してしまいました。  わけあって社宅からは退いていたから、またあの場所で落ち会うことになるとは思っていませんでした。それにしても、あれはいつのことだったのでしょう。少なくとも、暑さにやられて倒れてしまう前だったのでまだ夏にはなっていないし、わたしたちを散々苦しめた雪はすべて解けきってい

          うたかたの日

          大学祝典序曲Ⅱ

           いやはやご無沙汰。久方ぶりに筆を執る。  賢明な読者の皆さま(果たしてそんな素敵な存在はいるのか)には、おおかた察されているような気がしないでもないが、この半年ほどは自らの進退を賭けて悪戦苦闘していた。親もとで受験生として生活しており、有り体に言えば、落ちたり受かったりしていた。  勤め人の身分を失ってから久しく、このまま社会的に消えてしまうかとも思われたが、なんとか受け入れ先を見つけることが叶った。日本海側で寒さを耐え忍んでいた頃よりも、長い冬であった。  兎にも角

          大学祝典序曲Ⅱ

          ポワゾンを食らわば、ポワソンと共に

           どうにも何かを成し遂げる体力を、未だ身に付けられていないように思う。より厳密に言えば体力というより気力という気がしないでもないが、気力の大部分は体力から生まれるはずなので、やはり体力が欠けているのだろう。  小さな頃から、何かを諦める中で取捨選択を繰り返してきた。向かぬものを捨てることで何とか生き永らえてきたが、もうほとんど手元には何も残っていない。  成すよりも成さぬことが多かったせいで、負け癖が染み付いてしまった。ギリギリで商学を修めてからは、Plan Delay

          ポワゾンを食らわば、ポワソンと共に

          運動神経、ほか

           何をするにも運動神経というものが備わっておらず、ひどく歯痒い思いをしてきた。小学校の時分の体育に始まり、果てには楽器を奏でるうちにまで。あらゆる身体的ないとなみに違和感を抱く。  なんとなく、こういう感じ。適当に真似てみて。一切分からない。いや、少しだけ分かる気はせど、出力が伴わない。  おそらくは私が全てにおいて字面から入るせいだろうか。あるいは、分からなさゆえに分かる記号に置き換えて日々をやり過ごしてきたからだろうか。  逆上がりを習得するまでに、かなりの時間を要

          運動神経、ほか

          腰痛たちとシゲキ的な夏

           腰を痛めて、椅子を新しくした。  こんなにも一つの場所に座り続けていた夏は初めてだった。受験なんてひと昔前のものになってしまったし、ここ数年は純粋な勉強というよりも調べ物の方が多くなった分、絶えず動いていた。  立ち止まって、座して志す。洋間に住む私にだって思索の四畳半はある。いつだって部屋の中から、頭の中から。飛び立とうにも羽は生えていないから、ちまちまと設計図を起こしては頭を抱えて破り捨てる。私は鳥人間。  少しばかりか年を重ねてしまったゆえか。座すと痛む首肩背腰

          腰痛たちとシゲキ的な夏

          熱帯夜とターミナル

           深夜のバスターミナルは、思っていたよりも人で溢れかえっていた。繁華街で酒を飲んでいたのならそろそろ終電かという頃合いなのに。  構内はむんとしていて、冷房が効いているのかも疑わしい。買ったジンジャーエールは、もう水滴を垂れていて煩わしい。  荷物を預けて一人乗り込む。全ての人に開かれた三等席の乗合馬車は、若くとも貧しくとも、どこかしらに運んでくれる。  車内は次第に涼しくなってきた。飲みかけたジンジャーエールは、気が抜けてきている。飲み干そうにも、お手洗いが近くなって

          熱帯夜とターミナル

          建築家、または理詰めの提唱者

           幾人かの信頼できる友人からその評判を聞いて、16 Personalities なる性格診断テストを受けた。  まず断っておくが、私は世に出回っている「心理テスト♡」というものをとことん嫌っている。「〇〇を選んだアナタはうさぎさんタイプ〜」などと抜かしてくる輩にはもれなく平手打ち。しかしながら、今回の 16 Personalities は、どうしようもなく捻くれた阿呆にも一定の納得感をもたらしてくれた。  テスト自体の説明を含むとそこそこの分量になるので、本稿にも目次を示

          建築家、または理詰めの提唱者

          まなざしと風景――国立西洋美術館『憧憬の地ブルターニュ』展

           国立西洋美術館で開催中の企画展『憧憬の地ブルターニュ』を観てきた。都内の大型美術館に足を運んだのは久方ぶりであった。日々の雑事に追われるあまり、表現者としても鑑賞者としても芸術から遠のいていたことを痛感する。交響曲に身体を、風景画に心を揺さぶられなくなってしまう日は、刻々と近づいているのかもしれない。ひとまずその猶予を延ばすべく、忘れないうちに感想をしたためておくことにする。 『憧憬の地ブルターニュ』概要 〈基本情報〉 会場:国立西洋美術館(東京・上野) 会期:2023

          まなざしと風景――国立西洋美術館『憧憬の地ブルターニュ』展

          卓越を横目に、独立する

           無鉄砲というものとは無縁で、子どものときからさほど損をすることもなく生きてきた。  親の言いつけを守り、教師の顔色を窺い、上司の印を貰う。長いものには喜んで巻かれ、他人の紡いだ繭に包まる。  なんとか、なんとか羽織ってきた十二単とはうらはらに、自ら繕った襦袢は悲しいほどに薄く、そのうちの痩躯には目も当てられない。  ひとり、ぽつんと。どこかに放り出されてしまった。それからは、近しい年ごろの学生に混ざりゼミナールの真似事をして、蕩々と、あてもなく過ごしている。昼餐には霞

          卓越を横目に、独立する

          認識と語学

           昨年の秋口あたりから、いよいよ本腰を入れてフランス語に取り組んでいる。契機こそ必要に駆られてではあるが、それ以上に言語を学ぶことが面白くて仕方がない。  いざどっしりと構えて外国語と向き合ってみると、世界の捉え方を学んでいるような感じがする。無味乾燥だった文法のあれこれが、世界を切り分ける因子として躍動しているように思えてくるのだ。  私たちは新しいものを取り入れようとするとき、既に知っている何かに置き換えようとする。そのことが理解を促すこともあれば、かえって視野を狭め

          認識と語学

          冬の空を青とは呼びたくないんです

           冬の晴れた空は淡い。青いというより、淡い。  あえて言うなら「青」だけど、青のような何か。今の私にはまだ言い表せない色。記号に置き換えられない色。白が200色あるんだから、青だってそうでしょうに。  夏のそれは、たしかに青い。すごく青い。でもなんだかずっと眩しくて、あまりの色味の強さに逆にぼんやりしているように感じてしまう。  青春の「青」は、きっと夏の青空のような濃厚な爽快感に溢れている。誰かしらと集まって、歯を出して笑っているような感じがする。でもそのイメージには

          冬の空を青とは呼びたくないんです

          #02 読書歴開陳祭①

           どうもこんばんは、こるりです。挨拶から生まれた隙間に、自分語りや戯言をねじ込みます。今年もピイチクピイチクと鴃舌を飛ばしていきますよ。  前回の末尾に予告した通り、本稿を含めて何回かにわたって、私の読書遍歴を申し上げていきます。どうか半身でお聞きくださいな。  はじまりはおそらく、小学生の時分だと思いますが、いわゆる「読書家」ではなかったように記憶しています。小学校の読書というものが些か乱暴で、貸出カードに記した冊数を競うような心地だったから、本を読むという行為に対して

          #02 読書歴開陳祭①